前回までに書いてきたように、正期産児(37週以降の児)、特に黄疸が増強しやすいアジア系の赤ちゃんに対しては臍帯の早期結紮(30秒以内に臍帯内の血流を止めること)が現在の医学的な考え方といえるようです。
ただし、とりわけ出産・育児には医学的な正しさだけではなく、社会的にそれまで行われてきたことや新たに求められていることなどにも配慮する必要があります。
今回はそんなへその緒をめぐる社会モデルのあれこれを考えてみようと思います。
<つながっている実感ーいつ切るのか>
「へその緒でつながったままの状態で、赤ちゃんをすぐに抱きたい」
こういうご希望もよく目にします。
私自身は、今までこういうご希望をされた方には直接は出会っていないので、ネット上の体験談などで目にする程度ですが。
赤ちゃんと自分がへその緒でつながりあっていることを実感したいという思いは、昔からあったのかというと、案外ごく最近の考え方なのではないかと推測しています。
1980年代あたりの、「自然なお産」の流れではないかと思います。
こういうご希望の場合、「母体外に出て肺呼吸が始まったからへその緒と胎盤の役目は終わりました」と言ってしまうのは、あまりにクールすぎるのでしょうか?
ご本人が満足するまで赤ちゃんと臍帯を切り離さないで待ってあげた方がよいのでしょうか?
私なら、赤ちゃんを早くへその緒や胎盤から独立させてあげたほうが自由の身になってよさそうと感じるのですが、これもまた主観の話。
まぁ、問題がない限りは臍帯を切るタイミングを遅らせる対応はできるかと思います。
ただ、へその緒がつながったままで産婦さんが赤ちゃんを抱くと、どのような姿勢であっても胎盤の方が位置が低い状況になります。
出生直後に臍動脈の断端部が収縮して「機能的に閉鎖」しているといっても、3〜4分ぐらいは臍帯拍動を感じるとすれば、赤ちゃんの血液が体外へ多少押し出されている可能性があります。胎盤が下にあれば、失血しているのと同じ状態ではないでしょうか?
ですから、臍クリップで臍帯血の流れを止めておくことは必要だと考えています。
<誰が切るのか>
助産婦学生の時、分娩室実習の前日は本当に緊張の極みでした。
分娩介助の手順を何度も何度も見直しました。
初めてへその緒を切った時の緊張感は、覚えています。
臍帯の中に血管が通っているわけですから、ひとつ間違えれば赤ちゃんを失血させる可能性があるという緊張感。
そしてその血流は、赤ちゃんの心臓に直行するものなので、感染予防のための清潔な手順を守らなければ敗血症を起こさせてしまうかもしれないという緊張感でした。
助産婦学校に進学する前に開発途上国の医療援助で働いていましたが、途上国の母子保健の中では分娩時の新生児破傷風が大きな問題でした。
臍帯を切断する時に、不潔な器具や不潔な扱い方で破傷風にかかり、生まれたばかりの赤ちゃんがけいれんを起こしながら亡くなっていくこわい病気です。
途上国ではなんとか無事に生まれても、へその緒の切り方ひとつであっけなく赤ちゃんは亡くなっていくのです。
そのへその緒を誰が切るのか。
見ている分にはそれほど難しそうなことではないかもしれませんが、きちんと必要な知識と技術を学んだ専門家にのみ許された医療行為のはずです。
少なくとも日本の国内では。
ですから、夫や子どもに切らせることはどうなのでしょうか。
「いけないこと」とは言い切れないのかもしれませんが、「させるべきではない」と私は考えています。
<価値観に対しては説得できない>
へその緒を切る前に抱っこしてみたい、あるいは夫や子どもにへその緒を切らせたい。
それにどういう意味があるのかは、あると思う人にはあるでしょう。
でも、いつどこで、「そういう方法がある」ということをその方たちは知ったのでしょうか?
やはり、どこかでそれを始めた助産師がいるからではないかと思います。
「いいこと」だと考えて。
妊娠・出産・育児に関する社会モデルも、案外、その出所は社会の中というよりもむしろその専門家の中から「今までとは違うよいこと」かのように始まったものが多いのではないか、という印象です。
本当にお母さんと赤ちゃん、あるいは家族と赤ちゃんの関係に必要なことであれば、その方法は生き残り伝えられていくことでしょう。
そうでなければ、単なる演出にすぎないものとして廃れ、忘れられていくのかもしれません。
助産師というのは、ある特定の医療行為を許されています。
そういう立場で何かあらたな価値観を自ら広げようとすると、その医療行為を拡大解釈して実行する危険性と法律を破る可能性が高くなります。
胎盤を食べさせるのもそのひとつ。
ですから、助産師側から「こうすればいいお産」「こうすれば家族の絆が強まる」のような価値観をつけて、今まで行われていなかったような行為を勧めることは慎重になるべきだと考えています。