生活のあれこれ 56 「限界集落の生活」と「『限界集落』と呼ぶ現代社会は何か」の葛藤

7月の伊予から讃岐までただひたすら川と水路と田んぼを見に歩いた散歩の記録は、念願の高松水道資料館を対岸に見ながらあっさり終わりました。

 

猛暑のため計画をあきらめることの多かった散歩でしたが、印象に残ったものが少ないかといえばそんなことはありません。

小さな路地や家々あるいは田んぼや水路の風景が、こまごまと記憶に残っています。

 

思えば20代の頃から、私はそんなことを追い求めていました。

表向きは「海外医療協力に参加」という志大きなものでしたが、広い世界の違った生活を体験したいと飛び出してはその地域をなん度も訪ねたり、長期にその地域で生活していたのだと。

 

 

NHK仙台放送局の「限界集落住んでみた」*

 

数年前から田んぼや用水路を追って全国を散歩するようになってから、「過疎」とか「限界集落」という問題は実際にあるにしても、小さな谷津まで田畑が整然とつくられている風景に、もしかしたらほんの半世紀ほど前の日本の風景に戻っているだけあるいは世界中のあちこちに今も続く小さな集落の風景ではないかと感じることが増えてきました。

 

昨年でしょうか、録画予約をしている時にこの番組名に気づきました。

 

20代の若いディレクターさんが1ヶ月ほど村に住んでみるという番組で、最初は慣れない生活に戸惑いまた村の人から観察され少しずつ人間関係ができていく様子や、その集落の中の仕事や生活あるいは歴史や葛藤がしだいにはっきりと映し出されていく。

20代から30代の頃に東南アジアで暮らした時のことと重なり合って、いつの間にか毎回録画するようになりました。

 

そして番組の最後は、ドローンでその集落の様子が映し出されます。

自分の目線の高さから見ていたいつもの風景が鳥の目でみると全く違い、自分たちの整然とした田畑や村の風景に住民の方たちが見入っています。

「〇〇さんの畑だ」「きれいだねぇ」「いいねぇ」と。

 

この最後の場面でいつも不覚にも目頭が熱くなってしまいながらも、感動だけではいけないとどこか自制しながら観ています。

 

 

*「限界集落と言われること」*

 

一人一人の人柄や生活も映し出された良い記録番組だと思いながらも、どこか気になってきたことが10月14日放送の「山形・大蔵村(滝の沢)編」でわかりました。

 

山形のどのあたりだろうと地図で確認すると、あの7月25日の豪雨で大きな被害を受けた沢村地区のすぐ上流の村でした。直線距離だと3kmぐらいでしょうか、その間を最上川が大きく何度か蛇行しながら流れています。

 

NHK仙台放送局のホームページに、そのディレクターの報告がありました。

限界集落住んでみた 山形・大蔵村(滝の沢)」 ディレクターが語ってみた」

 ”なぜ滝の沢集落に住むことになったの?”

私が1ヶ月生活させていただいたのは、大蔵村の滝の沢(たきのさわ)集落。

山形市からは車で1時間30分ほど、新庄市からは30分ほどかかる山あいです。

実は、私は「限界集落住んでみた」という番組の大ファンでして・・。個性があって、温かな住民の方々が次々と登場するのをいつも楽しくみていました。そんなこともあり、ぜひ制作を担当したいと手を挙げました。

 

25歳の青年が村に住んで親切に声をかけてもらいながらさまざまな体験をし、野菜嫌いだったのに大好きになり、「とにかく『楽しかった』の一言につきます」と書かれています。

ほんと、一緒に生活し、一緒に食べるという経験は得難いものですからね。

 

実際の番組ではここに書かれていない、とても大事な記録が映っていました。

この番組の取材を提案された村では会議を開いて、断ろうという方向だったこと。

そして取材に反対していた人の家に招かれた時に「自分が生まれ育った場所を限界集落と言われるのはつらい」というようなことを言われていました。

しだいに取材に協力してくれるようになり、最後にディレクターの「すみませんでした」と泣きながら感謝を伝えた場面。

 

これからも「限界集落」をタイトルに入れるのだろうかと思いつつ、こういう地域を限界集落と呼ぶ現代社会の記録でもあるからそのままでもいいのかもしれないと思いなおしました。

 

もしかすると半世紀も経てば今の反動で、ゆったりと田畑が広がり山や川の美しい場所で仕事も生活も充実していれば、若い人もそこで暮らしたいと思う時代になるかもしれませんね。

 

奈良時代のようにその時代の栄華というのは短く、再び田んぼの地下に埋まっていくのですから、今繁栄している都市部もまた人口の変化とともに半世紀前のような農地や山林の広がる場所に戻っていくかもしれないと、ふと思いました。

そう、そして「人口問題」ととらえるのではなく。この国に生まれた一人一人が大事にされる社会になれば。

 

今回も最後のドローンで映し出される風景に、村の人たちが見入っていました。

「きれいだねえ」「いいところだねぇ、まるで外国のよう」だと。

 

 

*おまけ*

ちょうど滞在中にあの豪雨があり、道路が川のようになっている様子も映っていました。

滞在中には大雨の影響で土砂崩れの被害などもありました。

驚いたのは、大雨の際に、田んぼなどに繋がる”水路”が壊れていないかを、住民の皆さんが自ら確認に行っていたことです。

過疎地といわれるような場所にも津々浦々まで整然と田畑がある、決して消滅だけではない何かがあるような気がするのですが、それは何なのでしょうか。

 

 

 

 

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