水のあれこれ 388 高松市水道資料館と香東川

あきらめた計画も多かったのですが、念願の琴電の三路線を制覇し、行き止まり線の駅も訪ねることができたので満足しました。

こうして鉄道の魅力に惹き込まれていくのですね。あな恐ろしや。

 

いよいよ今回の散歩の最後の目的地へ向います。

2023年4月にちょっとだけ高松市内を歩いたのですが、その計画の段階で見つけた場所です。

 

香東川の右岸にある高松市水道資料館で、香東川をたどるとずっと南側の讃岐山脈に水源があるようです。

 

 

*香西(こうざい)駅から徒歩18分のはずが*

 

11時30分に予讃線香西駅に到着し、住宅地を東へと歩き始めました。香東川右岸の丘陵地帯がすぐ見えます。

堤防沿いに川面を眺めながら歩いていると、対岸に高松市水道資料館が見えてきました。

大正時代に造られた建物が、なんとも美しい風景です。

 

橋を渡ればもう少しと期待が高まったのに、肝心の渡るための橋がありません。

iPhoneとMacのマップの経路検索では橋が描かれていて香西駅から徒歩18分と教えてくれたのですが、なんと橋ではなく「堰」でした。

歩こうと思えば歩けないことはないかもしれませんが、確実に足元はびしょ濡れです。下手したら、流れに足を取られるかもしれません。

 

香川県広域水道企業団のHPの「アクセス」では「JR予讃線から御殿橋経由で徒歩30分」と書かれていた意味がわかりました。「近道もあるじゃない」と喜んだのですけれど。

もう少し上流にある御殿橋を迂回する時間はないので、対岸から水道資料館を眺めて駅へと引き返しました。

 

*転んでもただでは起きない。左岸側の水路を歩く*

 

その堰よりさらに上流からでしょうか、左岸側に細い水路が複雑に描かれています。

せっかくなので駅まで水路を散策してみることにしました。

 

住宅や会社などが立ち並ぶ地域の水路をたどると、ふと風景が開け田んぼが広がっていました。

蛇行した道沿いに歩くと、地図では想像できないような水量のある水路があちこちに残っています。

イチジクの実がなりコスモスも咲いていて、美しく落ち着いた街がありました。

 

途中、昼餉の準備でしょうか、煮魚の香りもしてお腹も空きました。

どんな歴史のある水路と田んぼでしょう。いつか必ず水道資料館を訪ねて、この辺りももう少し歩きたい。

高松駅に到着して、今回の散歩が終わりました。

 

 

高松市水道資料館と香東川*

 

「旧御殿水源地(高松市水道資料館)」(香川県広域水道企業団ホームページ)に歴史が書かれています。

旧御殿水源地とは、高松市の近代水道創設のために建設された浄水場のことで、1921(大正10)年9月1日に、日本で40番目の近代水道として給水を開始しました。

敷地の内外には、1915(大正4)年に竣工した集水埋渠東方人孔(しゅうすいまいきょとうほうじんこう)をはじめとして、1917(大正6)年に竣工した事務所と倉庫、1918(大正7)年に竣工した喞筒場(そくとうじょう)(ポンプ場)、竣工時期は不明であるものの、古写真から事務所などと同時期に建設されたと考えられる北門門柱や擁壁が、ほぼ創建当時の姿のまま現存しています。

これらの建造物は、歴史的・文化的価値が高い建造物として、1985(昭和60)年には厚生省(当時)の「近代水道百選」に選ばれたほか、1997(平成9)年には喞筒場と事務所が、また2016(平成28)年には倉庫、集水埋渠東方人孔、北門門柱、擁壁が、国の「登録ゆうけい文化財」に登録されました。

このうち喞筒場は「高松市水道資料館」として活用しており、館内では、江戸時代に使われていた土管や木樋、近代水道創設時に使われていたポンプ、各資料などの展示により、江戸時代から始まる高松市の水道の歴史を紹介しています。

 

水道資料館よりも少し高い位置に御殿池があるようですが、その水源はどこからきているのでしょう。やはり資料館を訪ねてみたいものです。

 

こうした説明に和暦と西暦が併記されていて、専門用語にはふりがながうたれているのは助かりますね。

「人孔」はどこかで見たけれど何だったっけと思ったら、マンホールのことでした。

浄水施設ができた頃の、この地域の雰囲気はどんな感じだったでしょう。希望の光を感じるような新しい時代とともにさまざまな葛藤もあったのでしょうか。

 

さて、Wikipedia香東川の「歴史」に興味深いことが書かれていました。

江戸時代の初頭まで香東川は、現在の高松市香川町大野あたりで2つに分かれ、分流は現在の水路、本流は一宮から室山(紫雲山)の麓を通り、現在の高松市街地を北上して高松城の西側付近で海に注いでいた。

当時の本流は、堆積した土砂で川底が浅くなり、雨が降るたびに洪水を起こしていた為、1637年(寛永14年)、西嶋八兵衛により本流を当時の分流であった現在の水路に切り替えられた。切り替え後に残った本流の伏流水は栗林公園の庭づくりに利用された。

 

昨年、徳島へ向かう途中に見えた栗林公園には、香東川の歴史があったのですね。

本流の痕跡を歩いてみたくなりました。

やり残した「水の宿題」がどんどんと積み重なっていきますね。

 

 

 

「水のあれこれ」まとめはこちら

生活とデジタルについてのまとめはこちら