境界線のあれこれ 15 <個人(Adult)と個人(Adult)>

小学生だった頃、すれ違う高校生を見るととても大人に見えました。
今、電車の中で高校生を見るとあの頃の感覚が本当に不思議です。


また自分が中学生になった時、少し大人になった気持ちがしました。
制服を着るようになったことや部活動があったこと、あるいは生徒手帳を持つようになったことなど、小学生とは全然違った学校生活が始ります。


そして今でも不思議なのですが、日本の社会は中学生頃から急に「先輩・後輩」の関係が作られていきます。
小学生の頃は1、2歳違っても遊び友達の「○○ちゃん」だったのに、中学生以降はたった1学年の違いが先輩・後輩と厳格な差になっていきます。


先に挨拶をしなければいけないとか、後輩が片付けなければいけないとか、気を使うことが格段に増えます。
しかも1年生は2年生と3年生に、2年生は3年生にと段階的に従属の関係が変化します。


一言で言えば理不尽だなぁという思いが強かったのですが、その中で生きるしかありませんでした。


<個人と個人が対等な関係とは>


私と誰々さんという個人の関係以上に先輩・後輩というしばりの強い社会の関係が苦痛だったことも、犬養道子さんのキリスト教関係の本に魅かれたり、海外で働きたいという動機になったように思います。


難民キャンプではICM(国際移住委員会、現在のIOM)という国連関係の組織で働きました。
その直前までは日本の総合病院の「先輩・後輩」あるいは「医師・看護師」の序列社会で生活していましたから、全く違う世界があることに驚きました。


ICMの現地責任者といえば、私にすれば病院長とか社長とか雲の上のような立場です。
ところが休日にも関わらず私の赴任当日には夕食でもてなしてくれて、その席で「ボブと呼んでくれ」ととても気さくに話しかけるのでした。


まだ看護師としても経験4年目、さらに海外勤務が初めてで英語もおぼつかない私は緊張しきっていましたから、「ここでsirをつけるべきか・・・」と悩みながらしどろもどろの会話でしたが。


年の差どころか社会的な立場も関係なく「対等」に扱われて働く環境があることに居心地の良さを感じつつ、日本社会の習慣からは完全には抜けきれないまま2年間の勤務が終わったのでした。


あの「対等」に感じられる関係とは何だったのだろう、どのようにそれが認められる社会ができたのだろうと、ずっと考えています。


<相手を客観的に認める>


難民キャンプには大学の途中で半年ぐらい体験をする、アメリカからの研修生が交互に来ました。


私と同年代の彼女・彼らは、最初から物怖じすることなく難民キャンプの責任者たちと会話していました。
英語で話されていた内容を理解できていたわけではないのですが、ニュアンスとして対等な感じが伝わってくるものでした。


私がもし研修生を受け入れる側であれば、実務を知らない学生に教えなければと養育者的(Parent)な態度になることが多くなると思います。
そして、休日だからといって養育的な態度から友人のような態度にはなかなか切りかえられないことでしょう。


私がそこで出会った責任者の人たちはおそらく「自分が学生だった頃はこう感じていただろう」と客観的に相手を受け止め、さらに自分とは違う目の前のその学生は「どのように生きているのか」という相手への関心が常にあったのではないかと思います。


「目の前のこの人は何者なのか」
人の存在に対しての根源的な問いかけがあるからこそ、相手を自分と同等に考えることができるのではないでしょうか。


年齢や社会経験の差を越えたひとりひとりの違いへの関心こそが、Parent(養育的)とChild(教えられる側、従属する側)ではなく、Adult(個人)とAdult(個人)の関係を可能にしているのかもしれません。





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