米のあれこれ 106 雄大な富士山の見える富士岡の江戸時代からの水路と田んぼ

小田急ロマンスカーの終点の御殿場駅で下車し、目の前に停車しているJR御殿場線に乗りました。

通勤通学の時間が終わり、車内はガラガラです。

 

秋晴れの空、雲ひとつなく富士山が見えています。お天気に恵まれました。

二駅で目的の富士岡駅です。ホームに立つと、その姿をさえぎるものもなく裾野まで見えます。だから富士岡駅なのだと納得しました。

 

ここから目指すのは「鉄道ひとり旅」の背景にちらりと映った湧水です。

駅前にその「富士岡駅周辺観光案内図」がありました。

二子湧水(不動尊

富士山を源とする豊富な湧水で特産品を栽培しています。1.5km

 

事前に検索すると、「黄瀬川四季の小径とロマンチック街道コース」という5.8kmの散策コースが紹介されていて、この二子湧水のそばにもう一つ沼田湧水があるようです。

「駿馬の如き河」黄瀬川の周囲には、芦ノ湖から水を引く必要がある地域もあれば湧水に恵まれた地域もあるようです。

 

*富士山を眺めながら田んぼを歩く*

 

富士岡駅から300mほど歩くと黄瀬川へと下り坂があり、箱根の山々との間に流れる黄瀬川の両岸に田んぼが見えました。

今年も無事に収穫が終わり、緑のひこばえが美しい風景です。

 

黄瀬川は道より1mほど下を流れていてちょっとした小川の趣です。橋は「昭和61年3月竣工」だそうですが、コンクリート製なのに苔が生えてすでに時代を経た風格ですね。

黄瀬川の水の音、そして風の音だけでこの美しい風景をひとりじめです。

 

橋を渡ると田んぼのそばに「ふじのくに 美しく品格のある邑(むら) 御殿橋二子湧水の里」という小さな案内板がありました。

この地域は農業・農村の持つ多面的機能を維持・発揮させるため、農林水産省の事業「多面的機能支払交付金」に取り組んでいます。美しい農村環境と先祖から引き継いだ豊富な湧水を守り、後世に伝えていくため、耕作放棄地の解消、小学生への体験学習など、さまざまな活動を行なっています。 令和2年3月 二子湧水保存会

全国津々浦々に水田が健在で、落ち着いた街を見ることができるのも、こうした地道な活動が実を結んでいるのだと思うことが増えました。

 

黄瀬川左岸の急な坂道を上ると静かな住宅地があり、もう一本上は交通量の多い市道のようです。車を避けて住宅地の道を歩くと、ところどころ開けて富士山が裾野まで見えました。

少し下り坂になり、また川沿いの美しい水田ですが、その先は行き止まりのようです。

車が結構通る市道へとのぼり、そこから二子湧水を目指しました。

 

お客さんが途切れることなく入っていく養鶏場と卵の販売所を過ぎると両側が田んぼになり、上り坂に沿って緩やかな棚田です。

10月中旬だというのに水路には轟々と音を立てて水が流れています。その向こうにはまた富士山が姿を見せています。

 

黄瀬川よりだいぶ高い場所にきましたが、ここに田んぼがありかなりの水が流れているので、これが二子湧水からの水だろうかと思いながら歩いていると、道が二手に分かれました。

 

 

*湧水へ*

 

左手の道へと入ると黄瀬川へと下り坂になり、住宅地を抜けると水量の多い水路がありました。

黄瀬川のすぐそば一段高い場所に水路が通っていて、砂利道が真っ直ぐ続いています。

その先が湧水のようです。

黄瀬川の水面がすぐそばに見えて、その河岸の木々の間にまた富士山が見える美しい砂利道をのんびり歩いていると、次々に車が入ってきます。

 

駐車している車が数台あり、水を汲みにきている人たちの姿がありました。

 

1mほど高い場所が池になっていて、そこから流れてくる水を汲んでいるようです。

そしてここもまた轟々と音を立てて水路へと水が流れ、先ほど歩いた地域を潤しているようです。

 

帰宅してからもう一度、御殿場市観光協会の「二子・沼田湧水」を読みなおしました。

二子・沼田の湧水は『不動池』と『二子水神』の2か所を指し、隣り合う場所にあります。両湧水ともに、透きとおったとてもきれいな水で、その水量はとても多く、"こんこん"というより”ごうごう”と湧き出ています。

『不動池』には水汲み場があり、休日には、ポリタンクやペットボトルを持って大勢の人が水を汲みに来ています。池の真ん中には不道明王が祀られており、勇ましいお姿が拝めます。

もう一方の『二子水神湧水』は別名『二子の水神さん』と呼ばれ、江戸時代からこの辺り一帯の新田開発に貢献しています。水神様の祠と鳥居が神聖な雰囲気となっていて、池の中では梅花藻(ばいかも)が綺麗な水にたゆっています。

富士山の湧水は水温が年間通して14度〜15度で保たれていて、御殿場名産の「ごてんばこしひかり」や「水かけ菜」の栽培に利用されています。

 

いく前に何度も地図と検索した場所を照らし合わせてこの湧水が「二子水神湧水」だと確信して訪ねたのですが、どうやら「不動池」の方だったようです。

ネットですぐに色々なことを調べらるようになったのですが、やはり土地勘がないと手も足もでないことがたくさんありますね。

 

それでも実際に歩いて、あの高さの水田地帯を潤す水路が江戸時代のものであり、まさに「ごうごう」と湧き上がる湧水が水源だったことを知ることができました。

そしてふりむくと、富士山が見守ってくれている。

そんな美しい田んぼでした。

 

それにしてもどうやって湧水からもう少し高い場所の田んぼへと水を上げることができたのでしょうか。

江戸時代の玉川上水の歴史と重なりました。

 

 

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