記憶についてのあれこれ 164 小平霊園

9月に村山貯水池を訪ねた時、車窓に小平霊園の入り口が見えました。

 

東久留米に父方の祖母が住んでいた頃、小平霊園には祖父の眠る墓地がありました。

1960年代、私が幼児の頃、そして引っ越して他県に住んでからも、毎年お墓参りに行った記憶があります。それで五日市街道と小金井街道の交差点の風景が記憶にあったのでした。

最後に小平霊園に行ったのは、1970年代半ばでしょうか。

看護学生になって1970年代終わり頃から再び都内に住むようになった時、一人でお墓参りに行こうと思うと話したら、母に「お墓は昼間でも魑魅魍魎が出るから、一人ではダメ」と言われたのでした。

 

そのうちに、両親の本籍を他県へ移したころに墓地も移したので、小平霊園とは無縁になりました。

 

 

*お墓参りの記憶*

 

春と秋の2回、お墓参りに行っていたと思うのですが、私の記憶にあるのはなぜか春です。

当時、寒冷地に住んでいたので都内に行くと天国かと思う暖かさで、墓地内には沈丁花の香りが満ちていました。

 

霊園の入り口には「〇〇家」という石材店がたくさん並び、その屋号が入った桶に仏花が入ったものを購入して、お墓まで持って歩くのが役目でした。

 

お墓周辺を掃除しながら隣近所のお墓をみると、長いこと誰も来ていないようなお墓もけっこうありました。

まだたくさんの漢字は読めなかったのですが、墓碑銘を眺めたり、お墓の大小や宗教の違いなど、あちこちのお墓を見比べていました。

人生の無常のようなものを、霊園の雰囲気から感じ取っていたのかもしれません。

 

お墓全体が朽ち始めているようなところもあったので、古い霊園だと思っていたのですが、1948年(昭和23)の開園ですから、私が生まれる10年ちょっと前ぐらいの新しい墓地だったようです。

園内は広くて、石材店から祖父のお墓までは歩いて10分くらいかかったのですが、当時でも、すでに空きの区画はほとんどなかったような記憶です。

 

小平霊園は青山霊園と同じ都立霊園ですが、都立公園協会が管理しているのですね。

「TOKYO霊園さんぽ」というサイトがあって、そこに沿革が書かれています。

 霊園が公園になり、散歩の場所にもなった。

これもまた墓地に対する感覚が驚異的に変化する時代だったと言えるかもしれませんね。

 

この世のあとの居場所が散歩のコースなんていいですね。

 

小平霊園の静寂、時々、風に木々の葉が擦れる音や西武線が通過する音が聞こえ、春には沈丁花、秋には枯葉と線香の香りがが漂う。

車窓から見えた霊園の半世紀前と変わらない雰囲気に、一生なんてあっという間だなあと思ったのでした。

 

 

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