記憶についてのあれこれ  131 <八重洲地下街>

京葉線のことを考えていたら、また回想の世界へ。


あまり使う機会がなかった京葉線ですが、東京駅にあるその深い地下のホームが印象に残っていた理由は、子どもの頃から時々歩いていた八重洲地下街があったからかもしれません。
東京を離れた後も、母に連れられて年に2〜3回は大丸デパートと八重洲地下街へ行きました。


半世紀前の幼児だった頃から比べると、「地下鉄」に書いたように、地下という見えない部分にわずか半世紀ほどでこれだけの地下鉄網を作り上げたこともすごいと思うのですが、エキチカのような商業施設もあちこちに作られて、地図を見ただけでは想像ができないほど、土地が上にも下にも複雑に利用されています。


おかげで今年のような猛暑の日も、雨など天候の悪い日も、地下を歩くことで荒ぶる天候を避けることができてとても助かります。


八重洲地下街


今では珍しくない地下街ですが、私にとっての原風景は八重洲です。
1本の地下道だけでなく、碁盤の目のように縦横に地下道が作られて、たくさんの飲食店や商店が並んでいます。
商店街だけでなく、巨大な駐車場があることも驚きでした。
皇居の前に、こんなに広い地下があることが不思議で子ども心に印象に残ったのだと思います。


Wikipedia八重洲地下街の「沿革」を読むと「1958年(昭和33年)12月ー都市計画に基づく公共駐車場と地下道(付帯する地下街を含む)建設のため、東京地下駐車場株式会社として設立」「1965年(昭和40年)6月ー地下街開業」とありますから、私の小学生頃の記憶は地下街ができたばかりの頃だったことにちょっと驚いています。


大丸デパートで服を買い、八重洲地下街を通って八重洲ブックセンターへ行って夏休みの本を探し、そしてデパ地下のお惣菜を買って家で食べるのが夏休みの恒例行事でした。


成人してからも、時々、懐かしさを感じながらそのコースを歩くことがあります。
ただ、長いことその歴史には関心がありませんでした。


「なぜあんなに広大な地下駐車場が皇居の前にあるのか」「どうやって掘ったのか。その掘った土はどこへ行ったのか」
ある時期に、突然素朴な疑問が湧いてきました。
その時にちょうど、地下鉄と陰謀論にちょっと書いた本を図書館で見つけました。
天皇や皇族の防空壕のためであったということが書かれていました。


その後、松代大本営を見学に行った時に、八重洲地下街の歴史が少し繋がって理解できたのでした。
Wikipedia八重洲地下街の歴史にはそのあたりは何も書かれていないのですが、「国民に隠している」というわけではなくて、皇居に関することですから機密事項もあるだろうぐらいに気持ちは変化しましたが。


それにしても、掘った土はどこへ行ったのでしょうか。
気になりますね。



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