水のあれこれ 421 吉原の崖線と小さな流れを歩く

新幹線の車窓から見える富士市は、なだらかに広がる平地というイメージです。

ところが、今まで何回か実際に歩いてみると、けっこうな傾斜があることがわかりました。富士山の裾野ですからね。

それでも潤井川右岸から富士川左岸にかけての地域はあまり起伏はなさそうに見えたのですが、潤井川左岸はどんな感じでしょうか。

 

地図でいうと、吉原駅からの岳南線が花を描くように何度も蛇行して通っている不思議な地域です。

浮島ヶ原の西端に、小さな川が3本流れ込んでいるのでその地形を避けるためにそんな線路になったのでしょうか。実際に乗っているときにはよくわかりませんでした。

 

その真ん中の小さな川が、富知六所浅間神社の池から始まっているので、ここを訪ねてみようと思ったのでした。

 

 

*「一級河川和田川」*

 

境内の池は広く、その東側からの流れが道路の下をくぐって川が始まり「一級河川和田川起点」と標識が立っていました。

3月の時点ではマップには小さな河川や水路の名前がなかったので、訪ねてみて「和田川」だと知ることができました。

 

池からの始まりは「側溝」といってもよいような小さな流れでしたが、150mほど下流に行くと幅も広くなり、結構な水量になっています。

「海抜6.8m」と標識がありましたが、そんな低地でも川が始まり付近の水を集めていくのですね。

 

ところで「一級河川」、どの水系でしょうか。

ところがWikipediaの和田川(わだがわ)には、「静岡県富士市を流れる富士川水系沼川支流の一級河川」となっていました。

 

「沼川」はあの浮島ヶ原を流れる川で、沼津の方からまっすぐ田子の浦に描かれていますが、富士川と直接つながっていないのになぜだろうと、Wikipediaの沼川の歴史にありました。

1974年(昭和49)年、支流である潤井川の星山放水路開削に伴い富士川水系編入された。

 

星山放水路、地図で見つけてずっと気になっていた、JA富士宮駅の南側500mほどのところの潤井川から富士川をつないでいる放水路です。

そうか、これで潤井川も沼川も富士川水系になったのかとつながりました。

 

治水や利水の仕事はこうした水系を正確に記憶する必要があるので、ほんと、すごいですね。

 

*吉原に崖線があった*

 

和田川から数百メートル下流に吉原公園があります。そこを目指しました。

刻々と変化する富士山は雲の上に7号目から上だけが見えて、まるでぽっかりと浮かんでいるような幻想的な姿です。

 

一旦、住宅地内で流れを追えない間に、またいつの間にか水量が増えて川幅が広がっています。水鳥の遊び場にもなっているようです。

静かな住宅地の先に森が見えてきました。

中に入ると、そこは崖線でした。10mぐらいはあるでしょうか。

崖線の下が広場になっていて、昭和31年建立の「鳥獣供養塔」がありました。

近くに何か建物があるので近づいてみると「吉原3号水源地」「この井戸は自噴します。※機械の故障ではありません。富士市水道事業」と書かれていました。

やはり水の豊かな富士市ですね。

 

和田川はこの崖線の端にぶつかって曲がるように流れています。

崖線の竹藪の中の道を上ると高台に出ました。

そこもまた広々とした公園になっていて、東屋があり美しく落ち着く場所です。

 

何か案内板がありました。

東泉院跡地(とうせんいんあとち)

 吉原の街並みを見下ろす高台に位置するこの場所には、明治の初めまで、東泉院という密教寺院がありました。(以下略)

戦国時代から江戸時代の統治の説明が書かれていて、そして東海道がここからあの水神社の近くの渡船場へとつながっていたようです。

 

「東泉院」なんでその名前になったのだろう。和田川の泉だろうか、私にはそちらの方が気になりました。

有名な武将の視点からの歴史はたくさん書き残されているのに、農業や生活の要であった水路や地形やその土木技術についてはほとんど習うこともないのが日本の歴史の授業だったとまたまた思うのでした。

 

だからいつまで経っても戦国時代とか江戸時代の武将になりたい政治家の時代が続くのだろうな、歴史の視点を変えて教えたら社会は変わるかもしれない、そんなことを考えながら坂道を下りて和田川沿いに戻りました。

 

本国寺のそばで橋を渡るときに和田川が分岐している場所があり、「一級河川田宿川起点」という標識が見えました。

今、地図を見直すとそこからの東への流れは「今泉用水路」として表示されていて、400mほどのところで用水路は田宿川となって東へと曲がりながら流れて沼川に合流していました。今泉用水路は途中で田宿川と分かれて南東でまた和田川に合流しています。

どんな用水路だったのでしょう。

またやり残した宿題ができました。

 

それにしてもあの工場群の向こうに崖線があり、美しい公園があったとは。

新幹線の車窓からだとあっという間に小さな川を渡る区間ですが、小さな川にも歴史あり、ですね。

 

 

*おまけ*

 

Wikipediaの和田川にこう書かれていました。

かつては富士市伝法寺三日市2995番の1地先の湧水地(富知六所浅間神社)を水源としていたが、現在は枯渇している。

てっきり今も水源だと思うほど、すぐそばから水量の多い流れになっていました。

富士市は本当に水が豊かな場所ですね。

 

 

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