存在する 29 印鑑証明と本籍

このところ1960年代から80年代のことを思い返すキーワードが多いのですが、初めて耳にする「先祖解怨」と言う言葉に閃いたのが印鑑でした。

 

高校を卒業して家を離れるときに、両親が大事そうに2本の印鑑を準備してくれました。

一本は普通のサイズの印鑑で、もう一本はその2倍ぐらいの口径の白い印鑑でした。

今ではおそらく輸入禁止になっている素材ですね。

 

「運命鑑定もしてもらった」とたしか言われました。

40年ほど前だと25歳までには結婚して第一子出産が女性の幸せであるという通念が強かったのに、あんな高額で立派な印鑑を作ったら簡単には改姓できそうにない矛盾に、なんだか変だなと思った記憶があります。

 

あの印鑑がその団体と関係があったのかどうかは、もう確認の手段はないのですが。

 

20代初めの頃から読み始めた犬養道子さんの本に印鑑社会への疑問が書かれていたことが、「自分を証明する」とはどういうことか考え続けるきっかけになりました。

それでもなんだかあの印鑑がまるで自分の分身のように感じて、海外へ行くときは実家の金庫に預かってもらっていました。

 

そういえば40年以上前に初めてパスポートを申請しましたが、あの時もそれ以降のパスポート更新にも印鑑は不要ですね。

 

 

 

*印鑑登録*

 

ただその象牙の立派な印鑑も銀行口座を作るために使ったぐらいでした。

あんがい出番はないものですね。

 

やたらと書類と押印が多い日本のシステムはほとんどが三文判ですむという矛盾したもので、いつの間にか「運命鑑定済み」の印鑑は使わなくなりました。

 

銀行の通帳も押印が省略されたり、しだいに印鑑不要の社会に変わりつつあることを実感していたここ数年ですが、父が亡くなった時の生命保険解約の手続きにまさかの印鑑登録証明が必要になりました。

今まで印鑑登録が必要な機会がなかったので慌てて登録をし、その時に「これからは印鑑証明カードがあれば手続きが簡単」とのことでしたからカードも作りました。

結局そのカードも1年後には廃止されていて、またもや実印を持って窓口で申請することになりましたがあれもマイナンバーカードへの一本化の流れだったのでしょうか。

 

特別の印鑑が「私」を証明するというシステムがいまだに理解できないままです。

 

 

*本籍とは何か*

 

両親が家を建てたのは借地でしたが、その住所に本籍を移しました。

父が亡くなり母も施設で生活するようになると、更地になった他人名義の土地が母の本籍地になりました。

草ボウボウの荒地になりましたが、それでも厳然として本籍地という意味があったようです。

 

たとえば看護師・助産師の免許の本籍地変更届けが遅れると、厚生労働大臣に一筆謝罪文が必要という重々しい「本籍地」なのに、「現住所に無関係に国内ならどこに置いてもよく、変更(転籍)することもできる」という矛盾も私にはいまだ理解できないものです。

 

本人でもない印鑑が意味を持ったり、そこに存在していないのに本籍地を登録したり変更する意味はあるのだろうか。

そのあたりを、「個人に番号を与える」ことでもっと簡略化あるいは廃止できるのではないか。

「マイナンバー」に最も期待していたのですけれど。

 

 

もういっそうの事、樹木葬のできる都立霊園に本籍を移しておこうかなと本気で考えています。

 

 

それにしてもこの半世紀、なかなかこのあたりの感覚が社会で変わりにくいのも先祖や家族の呪縛が強い社会だからかもしれないと思えてきました。

いえ、じわじわとそういう雰囲気が広がった背景が今の問題につながっているのかもしれませんね。

 

 

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