散歩をする 103 漁港を歩く

20代半ばに東南アジアのある国に住んで以来、海が身近になり、日本で生活しているときには近づくこともなかった漁村や漁港に毎日のように出かけていました。

最初の頃は、魚を買いに行ったり離れた場所へ行くのに漁船を借りるためで、漁村は生活に欠かせない存在でした。

そういう漁村は、日本でイメージするような漁港はなくて、砂浜に直接船が乗り上げます。船から降りるときには、板を砂浜におろしてくれるのですが、結局は足元がずぶ濡れになるような感じ。

数人乗ればいっぱいになるような小さな漁船でした。

 

1990年代に入って村井吉敬さんと出会う少し前に、たまたま日本のODA(政府開発援助)による漁港建設の話が起きていた街に住むことになりました。

 

その国では2〜3本の指に入る大きな漁港がある古くから漁業の盛んな街でしたが、それでも日本の漁港に比べれば、規模も設備も歴然としているのは素人目にもわかりました。

埠頭には大きな漁船に混じって、付近の小さな漁村からのあの小さな漁船も水揚げのために立ち寄ります。

市場のそばにあったので、喧騒の中で水揚げが行われている様子を時々ながめに行っていました。

少し離れたところに、マグロ専用の水揚げ港もあって、こちらは2週間ぐらい漁に出る大型の漁船が集まって来て、冷凍されり氷漬けにして保管されていた大きなマグロやカツオが次々とベルトコンベアーで水揚げされていました。

大きくて良いマグロは首都から日本へと空輸され、小さめのマグロやカツオは人間用に市場へ、そしてペット向けの缶詰工場へと運ばれるようでした。

 

日本人がほとんどいない地域だったので、私が行くと少し驚かれながらも怪しまれることもなく、漁港や市場では気さくに見学をさせてくれました。

 

それ以降、新しい漁港が援助で建設された後も、定点観測というには少なすぎるのですが、その地域を訪ねてみました。

その間に、日本の水産関係のODAについて淡々と調べている方たちから学ぶことも多く、豊かさと貧困との葛藤が少しずつ変化していきました。

ただ、やはり日本は世界中の魚を採りすぎているのではないかという気持ちは強まって来ていますが。

 

それにしても、どこの国であれどの地域であれ、魚が水揚げされている風景に惹かれるのはなぜなのでしょうか。

 

 

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