ヴェジタリアンをやめた訳

母乳について書き始めると力がはいっちゃいますね。
ということで、今日は一休み。


こちらの記事で一時期なんちゃってヴェジタリアンだったことを書きましたが、ヴェジタリアンをやめたことはまだ書いていませんでした。


あまりはっきりした記憶もこれといった理由もなく、いつの間にか普通の食事に戻っていったのだと思います。数年ぐらいで。
あ、それではここで記事が終わってしまいますので、もう少し何をその頃考えていたのか、とりとめのない話を書こうと思います。


<肉をやめてみた>


「背後カロリー」の考え方の中心部分は、肉を生産するために大量の飼料が必要になるというものでしたから、肉をやめることにしました。
魚、卵、乳製品はよしとしましたから、完全なヴェジタリアンではありませんでした。


でも今思い返すと、「背後カロリー」の本を勧めたアメリカの友人はとても背後カロリーの高い生活をしていました。


当時、東南アジアの某国の難民キャンプに来ていた彼女は、大学途中で研修という形でその国連機関で働いていました。
研修生でも国連機関で働くことは特別待遇があるらしく、その国の首都にあったアメリカ大使館関係の人にしか入れない施設にも彼女は自由に入れました。


そこはレストランやプール、店などが揃っていて、一歩入っただけで「アメリカ」にいるような施設でした。
私は時々彼女のゲストとして、一緒にその施設に連れて行ってもらい食事をしました。


サラダだけでも私にはお腹がいっぱいになりそうなサイズなのに、さらにビッグな肉料理やパンが出て、最後にはこれまた大きなケーキが出ます。
私もけっこう食べる方でしたが、周囲のアメリカ人は皆なにくわぬ顔で食べています。


これがアメリカなのだと思いました。
「背後カロリー」という思想が必要な飽食と肥満の・・・。


<マグロとエビもやめてみた>


ヴェジタリアンになって2〜3年たった頃、日本向けのエビ養殖場が急増している問題や、日本向けのマグロの輸出のために開発途上国の空港や漁港が開発援助によって建設されている問題を知りました。


私が住んでいた地域は、日本やアメリカ向けにマグロ・エビの輸出が盛んな地域でした。
地元の市場に行くと、マグロを扱っているのはごくわずかでしかもとても高価でした。
毎日のように市場へ行っていましたが、私を見ると「ジャパニーズ、ツナ(日本人マグロ好きでしょ、買って)」といつも声がかかります。
エビもほとんど見ることがなかったのですが、時々、輸出できずにはねられたものが売られていることがありました。


地元の人には、マグロやエビは日常とは無縁の食べ物でした。


そんな地元の人たちが現金収入を求めて働く先として、日本向けのキャットフードのマグロ缶詰工場がありました。
短期のパートとしてしか採用されないのですが、なんとかしてそこで働こうと何度も面接を受けている話やコネで採用されたりする話も聞きました。


缶詰工場の周囲の住民は、ネコが食べる缶詰を作っているとは知らない様子でした。
私があれはネコ用の缶詰だと話した時の、憮然とした表情は忘れられません。


人間だけでなく、ペットの餌にも「背後カロリー」を考える必要がある。
でも日本に帰れば、そうして大事にされているネコの存在もよくわかります。
同じ時代に生きながらこの差は何だろうと、また答えの出ない問いがひとつ増えました。


この頃から、私はマグロとエビを食べるのをやめたのでした。


<こだわらずに食べる>


再び肉を食べるようになったのは、1990年代に東南アジアを行き来したことがきっかけだったと思います。


少数民族の人たちの村を訪ね歩くようになった時、客人の私に対して最高のもてなしをすることがこの社会の習慣でした。
最高のもてなしとは、大事なにわとりをつぶして料理することでした。
必ず感謝の祈りを捧げてから、飼っていたにわとりを殺します。
血が一滴も地面に落ちないような、見事な方法でした。


ありがたく、その料理をいただくことにしました。


また、別の少数民族の友人とあちこちをまわった時のことでした。
私を案内してくれるお礼に食事をご馳走するのですが、肉料理を注文すると必ず言いました。
「肉をいただくのは薬のようなものです。本当に元気がでます」と。


私のこだわりを緩めてくれたのでした。


<本当は、エスニック料理が大好き>


1980年代初めの頃は、まだ東京でもタイ料理やベトナム料理のお店はほとんどなかった時代でした。
その頃に、インドシナ難民キャンプで働いていた私は、朝食にはキャンプ内の難民の方たちが出している屋台でフォーというベトナムのヌードルを食べ、昼食にはキャンプ内のベトナム料理店でさまざまなベトナム料理を堪能していました。


あるいはキャンプ内の難民の家族に招待されて、ベトナムの家庭料理を食べる機会がたくさんありました。


一見、経済的には貧しい難民の人たちも、日々の食事はどこからか食材を調達して工夫していました。
その中でも肉を使った料理は絶品でした。
どんな境遇でもこうして食事を楽しむのは、なんて豊かなのだろうと思いました。


1990年代になるとしだいにベトナム料理やタイ料理、カンボジア料理あるいは世界各国料理のお店が日本にも増えていきました。


こうしたエスニック料理を楽しむためには、ヴェジタリアンなんて言ってられなかった。
恥ずかしながら、それがヴェジタリアンをやめた理由だったのだろうと思います。
そしていつしか、マグロもエビもまた少しずつ食べるようになったのでした。