記憶についてのあれこれ 149 大船観音

東海道本線大船駅を通過する時には、少し前から窓に顔をつけて大船観音を見逃さないようにする習慣があります。

なぜかというと、数少ない幼児期の記憶のひとつとして、この大船観音に行った日の記憶があるからです。

真っ白で優しい顔の観音像があともう少しというところにあるすごい坂道を、泣く泣く親に手を引いてもらって歩いた、そんな記憶です。

 

もう一つ、大船観音を見て思い出すのがウルトラQでした。大船観音から帰宅した時に、あのおどろおどろしいテーマソングと画面が当時の白黒テレビに映っていて、なんだかとても怖かったのでした。

でもWikipediaを読むと、放送が始まったのは1966年1月からのようですから、こちらはどうも記憶違いのようです。

やはり記憶はいい加減ですね。

 

柏尾川に沿って、バスが大船駅に近づいてくると、しだいに大船観音の横顔が見えてきます。

予想に反して、柏尾川は水も澄んだ川でした。なぜか、東海道本線から見える川はドブ川のようなイメージだったのは、やはり子どもの頃の川は汚くて臭いものという印象がどこかに残っているのかもしれません。

 でもWikipedia柏尾川の説明を読むと、実際にひどい時期もあったようです。

流域は工場や宅地が数多く立ち並んでいるため、高度経済成長期ごろになると大量の工場排水・生活排水が川に流れるようになった。このため川はヘドロで淀み、夏場になると悪臭が漂うドブ川となっていたが、下水処理網の整備が済んだことなどにより近年では川鳥や川魚が生息できるような状態に改善されている。

柏尾川にはアオサギが何羽もいて、観音さまと似合っていました。

 

大船観音寺

 

父だけでなく母も写経をするような宗教的な家庭で育った私は、その反動でキリスト教に関心が深まり、そしてまた反動で今は宗教とは無縁な生活になっています。

 ですから仏教の世界に関しても、宗派の違いなどほとんどわかりません。

観音像についても、人の気持ちを鎮めるために建てたくらいの認識でした。

 

大船観音寺を読むと、1929年(昭和4年)に築造が開始されたものの途中戦争で20年ほど放置され、完成したのが1960年(昭和35年)4月とあります。

 

幼児だった私は古いお寺に連れていかれたと思っていたのですが、完成してまだ数年にもならない時期だったようです。

 

大船駅から歩いて2〜3分で参道があります。急な坂道を登ると、さらに階段があります。私の記憶にあるのは、この階段でした。

目の前に大きな真っ白な観音様がいて、そこに向かって一歩一歩と泣きそうになりながら歩いたあの日でした。

今、大人の足でも大変な参道です。

 

今回、大船観音寺曹洞宗のお寺であることを、初めて知りました。

終戦直後の精神的に不安定だった父が座禅に出会って気持ちを立て直し、その後家庭を持ち、我が子を連れてこの大船観音寺に来た時、どんな思いだったのだろう。

 

期せずして、父の記憶を辿る散歩になったのでした。

 

 

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