散歩をする 150 北上川を見に行く

5月に八郎潟を訪ねた時に、新幹線の車窓から見えた阿武隈川北上川の流れ方が興味深く、その後も地図で時々眺めていました。

北の河川の中では、三面川信濃川はだいたいその流れが頭の中に入っているのですが、他の河川については曖昧なままでした。

 

北上川の河口の近くが、あの東日本大震災の時に帝王切開を受け入れていた石巻赤十字病院がある石巻になるのかと初めて繋がりました。

その付近を何度か眺めているうちに、石巻北上川の分岐した河口にまるで「島」であるかのように分離した地形であることに気づきました。

そしてその分岐した川の中州に、北上川河川歴史公園があります。

 

もしかしてここにも放水路が作られたのではないかと検索したら、やはりWikipedia北上川に「近代河川工事〜付け替えと運河〜」にまとめられていました。

明治時代に入ると政府主導による治水工事が各地で行われたが、その代表的なものに旧内務省による「北上川改修工事事業」がある。北上川は、かつて石巻貫流して仙台湾へと注いでいたが、度重なる洪水から石巻などの下流地域を守るため、下流域の手前から分流させる工事に着手することとなった。1911年(明治44年)から1934 年(昭和9年)までの23年をかけて北上川登米市付近で派川である追波川を利用した開削工事を実施。旧北上川新北上川に流れを分け、新北上川を放水路として東の追波湾へ遷させた。旧北上川についても1920年大正9年)より1932年(昭和7年)まで12年の期間をかけて北上川の分流工事と河川の改修工事を行い、分流堰として鴇波洗堰・脇谷洗堰が建設され、水運確保のための脇谷閘門も設置した。また分流地点より下流には飯野川可動堰が建設され、洪水調整と用水確保が図られる。

 

この旧北上川と放水路の分岐点を訪ねて見たい。

地図での妄想の旅が始まったのでした。

 

*日帰りの旅を計画する*

 

天竜川を訪ねたあと、妄想の旅が現実味を帯びてきました。

交通費を考えると一泊した方が無駄がないのですが、猛暑の中で川を見て歩くために、今回は日帰りにすることにしました。

 

朝一番のはやぶさで仙台に向かい、仙台から東北本線気仙沼線を乗り継ぐと、柳津駅には10時43分には到着します。

1時間ほどその北上川旧北上川の分岐点で過ごし、気仙沼線気仙沼へ出て、大船渡線で一ノ関に行き、そこから北上川沿いに東北本線北上駅へ向かい、北上駅からはやぶさで帰宅するという、大人の贅沢な旅です。

 

石巻気仙沼あるいは大船渡という地名を聞くと、いまも大津波が人を車を飲み込んでいく様子をリアルタイムに、そして自分自身も大きく揺れる自宅で本棚を押さえながらその映像を見た日を思い出してしまうので、この旅はまだ数年後ぐらいになるだろうと思っていました。

 

地図を見ながら、どうやったら柳津に行けるのかなと調べていたら、気仙沼線は一部区間が、BRT(バス・ラピッド・トランジット)になっていることを知りました。いつ頃だったか震災後に鉄道の代わりにバス路線になった地域のニュースを見た記憶があったのですが、ここだったのだとつながり、急に行ってみたいという思いが強くなりました。

 

もうひとつ、以前ブログで引用した資料にあった地名がつながってきました。

岩手県の1970年代の母子保健センターの記録の「農村地域(胆沢町)では数年来中毒症の発症が多く」という箇所と、岩手県の穀倉地帯であり、「誘致企業進出の極めて著しいところ」にある胆沢母子保健センターの状況に出てくる「胆沢」です。

 

Wikipedia北上川」の「江戸時代以前の開発状況」に以下のように書かれています。

利水面においては、仙台藩領の寿庵堰がよく知られている。北上川本流は鉱毒によって汚染されていたため、直接水を引くことが出来ず、取水は支流の河川から行わざるを得なかった。胆沢郡においては胆沢川の河水を利用していたが、天候による流量の増減が大きく水の安定供給が求められていた。そこで元和4年(1618年)、胆沢郡福原館主・後藤寿庵は、郡内の灌漑に供するための用水路を整備する事業に取り掛かった。ところが、キリシタンであった寿庵が禁教令に従うことを拒んで仙台藩から出奔したため工事は頓挫する。しかしこの事業の重要性を認識していた政宗は、寛永2年(1625年)に千田左馬と遠藤大学に命じて工事を再開させ、寛永8年(1631年)には全長43.0kmに及ぶ用水路が完成し、胆沢郡内の約3,000haに及ぶ田畑への給水が可能となった。寿庵堰は河川の水位を利用して胴(ど)と呼ばれるサイフォン式の設備を備えており、これにより安定した水量を水田に供給することが可能になった。

 

岩手県の穀倉地帯は、この寿庵堰あってこそのようです。

検索すると、あの二ヶ領用水の久地円筒分水と同じような設備が残っているようですが、今回は訪ねるのをあきらめ、東北本線一ノ関駅から北上駅まで北上(ほくじょう)することで、この胆沢川扇状地の水田地帯を見てみようと思いました。

 

 

北上川の歴史と現在を知るにはあまりに大雑把なルートですが、まずは出かけてみました。

 

 

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