「行間を読む」というタイトルは、30年以上前の周産期感染症の授業で書き留めた一言から来ています。
そしてその先生は、一つの感染症を制御しても、また新たな感染症が出てくる。私たちにわかっているのは、何百万も存在する細菌やウイルスの本の一部に過ぎないというようなことをおっしゃられたのでした。
あの頃の私は、いわゆる開発途上国と言われる国での感染症や予防接種をほんの少しだけ経験していたので、この先生の言葉が記憶に残ったのだと思います。当時の日本は「清潔な国」で重大な感染症は話題になりませんでしかたら、日本で暮らしていただけではこの先生の言葉は素通りしていたかもしれません。
90年代に入ると、「清潔」だけでは対応しきれないほどさまざまな感染症の存在がわかるようになりました。胎児と新生児の感染症も次々と検査から治療方法まで確立されていく時代になり、ほんの数年前までは知らないまま対応していたのかと、愕然としたものです。
そのたびに、あの授業が蘇ってきたのでした。
*ポリオの流行を思い返す*
半年前にはまだなかったCOVID-19が世界中を混乱させているようすに、私自身の生まれた頃がこんな感じだったのかもしれないと、今までポリオの説明を読んで知っていたつもりが実はわかっていなかったと、その行間を恐怖感を持って読んでいます。
「疫学と各国の状況」の「日本」にはこう書かれています。
日本におけるポリオは、1940年代ごろから全国各地で流行がみられ、1951年1月から6月には、半年で1500名の患者が出た。このことから厚生省は同年中に、法廷伝染病に指定している。この時点では、死亡率は約二割とされている。
1960年には北海道を中心に5,000名以上の患者が発生する大流行となった。そのため1961年にソビエト連邦からOPVを緊急輸入し、一斉に投与することによって流行は急速に終息した。引き続いて日本産OPVが認可され、1963年からは日本産OPVの2回投与による定期接種が行われていた。1981年以降野生株のポリオ発生がみられず、2000年にWHOに対しポリオの根絶を報告した。
私の茶色く変色して紙もボロボロになりはじめた1960年代の母子手帳ですが、当時はまだポリオに対する予防接種の項目はありません。
余白に、「急性灰白髄炎接種1.0cc」が3回、「急性灰白髄炎1.0cc皮下接種」が1回記載されています。
「IPV(皮下接種)/OPV(経口接種)併用方法」のようですが、国産のOPVが始まる前ですから、ソ連からの輸入のおかげで予防接種を受けられたのでした。
*ポリオの大流行に当時の社会はどう対応していたのだろう*
Wikipediaの「徴候と症状」を読むと、病型は異なっても、こうした感染症の大流行の怖さが今回と重なり合います。
正常な免疫系を持ったヒトではポリオウイルス感染はその約90-95%が不顕性である。稀にポリオウイルスの感染が上部気道感染症(咽頭痛、発熱など)、消化器障害(吐き気、嘔吐、腹痛、便秘、稀に下痢)、感冒様症状などの軽微な症状を引き起こす。
症状がほとんど出ないか、出ても小児が日常的によく訴えるものがほとんどのようです。
ウイルスが中枢神経系に侵入するのは感染者内の1%程度である。CNSの感染を伴う場合、多くの患者が頭痛、首痛、背部痛、腹痛、末端痛、発熱、嘔吐、脱力、神経過敏(irritablitity)を伴う非麻痺型髄膜炎に発展する。 1000人の患者の内、1から5人が麻痺型の疾患へと進行し、筋力が低下、自立困難になり、最終的に急性弛緩性麻痺として知られる完全な麻痺症状に陥る。
どこから感染するかわかならい怖さ、感染していないと思った元気そうな子どもがある日突然、筋力低下を起こし始める。
当時の社会はどのような状況だったのでしょうか。
私の母もその時代の生き証人ということになるのですが、今まで尋ねたこともありませんでした。
今、母の施設も面会制限中なのでいつ会えるかわかならいのですが、次に面会に行ったら話を聞かなければと思っています。
感染症にも100年に一度とか50年に一度という視点が必要なのかもしれませんね。
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