太田川放水路をみて広島駅に戻りました。
午後は、12時30分のJR呉線快速安芸路ライナーで、ぐるりと瀬戸内海沿いをみる予定です。
呉線はずっとずっと乗ってみたかった鉄道のひとつでした。
私にとっておそらく、海を初めて意識したのが瀬戸内海の記憶で、幼児の頃に岡山県の海沿いに住んでいた親戚の家に夏に遊びに行った時に、瀬戸内海を見ました。
穏やかな波と、目の前には島が重なり合って見える風景。
それが私にとっての「海」でした。
ですから地図を眺めては、この瀬戸内海の沿岸を通ってみたいと思っていたのです。
少し早めにホームに並んで、海側の席を確保しました。
いよいよ呉線の旅です。本当は各駅停車で、気ままに駅に降りたって歩いて見たかったのですが、先を急ぐために今回は快速で車窓の旅です。
*江田島と呉、そして呉線*
広島市街地を抜けてしばらくすると、右手にずっと海が見え始めます。
まず大きな島が見え始めて、江田島です。
子どもの頃から広島というと江田島や呉といった元日本軍の軍港、そして戦後は海上自衛隊の部隊があることを耳にしていたので、江田島や呉がどんな場所なのかも見てみたいと思っていました。
今よくよく考えると、幼児の頃にその地名を聞いたのは第二次世界大戦が終わって20年ぐらいの時期で、戦争の話は大昔のような気持ちでした。半世紀以上経った今は、「戦争が終わってまだ20年しか経っていなかったのか」と不思議な感覚になります。
Wikipediaの呉線の「歴史」を読むと、呉線は1903年(明治36)に開業しているようです。
軍都広島と軍港呉を結ぶ必要から呉駅ー海田市駅間は官設(呉線)で1903年に開業している。開業当時は呉駅ー広島駅間を6往復、呉駅ー海田市駅間を3往復の計9往復が運転された。
「軍都広島」と呼ばれていた時代もあったのですね。
戦前の1939年には、輸送力増強のため海田市駅、呉駅間の複線化が計画され、1941年3月に着工された。しかし、太平洋戦争中の資材不足から工事が遅れ、輸送力増強は省営バス安芸線の運行を開始することで代えられ、1945年に複線化は中止された。4分の3が完成していたトンネル・路線は放置されていたが、電化に際して従来の低規格のトンネルを放棄し、戦中に掘削した新トンネルに切り替えられている。
呉を過ぎると、ひとつ山を越えるとまた街と海が見える風景が続きました。
あれが「戦中に掘削し」放置されていたトンネルだったのでしょうか。
本当に、一世紀というのは不思議な長さですね。
*島が折り重なる幻想的な風景*
瞬きも惜しんでずっと瀬戸内海を眺めていたので、ほとんどメモがないのですが、「仁方(にがた)、灰色のかわら鴟尾を見つけた」と残していました。
広島駅を出てからは、民家の屋根の魚の形をした鴟尾(しび)にも注目していたのですが、見かけませんでした。飛び地のようにこの仁方から安浦のあたりで、見つけました。
風早には牡蠣の養殖地が広がっていました。
目の間には大小さまざまな島があって、近づいたり離れたり、折り重なるように瀬戸内海にまるで浮かんでいるかのような風景です。
ああ、これが私の記憶にある「海の原風景」です。
まったく人を寄せつけないような海岸線もあれば、発電所があったり造船所があったり、海に沿ってさまざまな暮らしや産業が見える風景でした。
海だけを眺めているうちに、2時間ほどの旅はあっという間に終わりました。
そういえば車窓の反対の山側の風景はどんな感じだったのだろうと、また行きたくなりますね。いつか各駅停車で、もう一度呉線に乗ってみたいものです。
そしてあの島々を船で訪ねてみたい。そうだ、東南アジアの島々を船で回る夢もまだ実現していませんね。
海を見ていると気持ちが壮大になっていくのでした。
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