6月下旬、岡山〜姫路の散歩を終えて、京都駅から15時39分ののぞみに乗りました。
都内では感染者数が減るどころか、700を超え始めました。その一週間前に感じた嫌な予感が的中しそうなことと、夏にはとんでもない数になっていくのではないかと思えました。
6月下旬のその新幹線では「車内でのアルコール類の販売は見合わせ」と言う車内放送がありましたが、外で買って持ち込んでいる人たちが一列に並んで喋りながら飲んでいました。
少し席が離れているから大丈夫と、自分に言い聞かせました。
*初めて感染症の指数関数を知った*
昨年、新型コロナウイルス感染症が広がりだした時に指数関数とそのグラフでの説明をみて、長く医療に従事しながら初めて、感染症に数字でのとらえ方があることを知りました。
数字が苦手ですから最初は何のことかよくわからなかったのですが、毎年のインフルエンザの流行と終息や、2001年の麻疹の流行などで無意識のうちにあのグラフを経験していたこととつながりました。
ですから「夏にはとんでもない数字になりそう」と言う予測と言うか、「予感」ぐらいの私の理解のレベルですが、感染症に数理モデルがあることを明らかにしていた方々がいたことがすごいと実感しています。
この考え方がない時代だったら、おそらく社会は不安と恐怖で大混乱になっていたことでしょう。
感染症の広がりを予測するために、まさか計算式があるなんて思ってもいなかったのでした。
*「感染症と数理」*
すごいと思いつつ、なにぶん数字が苦手なので詳細は先送りにしていたのですが、感染症の広がりを計算するという発想はいつ頃からできたのだろうと気になりだしました。
「感染症の数理」という2009年の講演文が公開されていました。12年前のものですから内容的にはもう過去の部分もあると思いますが、「こういう考え方なのか」とわかりました。
「はじめに」に、知りたかった答えが書かれていました。
今日は感染症の数理ということで話をさせていただきたいと思うのですが、感染症ということに関しましては、最近は高病原性鳥インフルエンザの人間への適応ということが非常に大きなリスクとして日々報道されておりますし、少し前、最近はちょっと忘れられている気がしますけれども、エイズの問題とか、非常に大きな社会的な問題になっていることはよくご存知だと思います。それで、感染症の流行、これはいろいろなレベルで問題にもちろんできるわけで、医学的に、あるいは生物学的に細胞レベルでどうかという話ももちろんあるわけですけれど、一般に人口のレベル、ポピュレーション・レベルで感染症というものがどのようにして広がっていくか、あるいはそれを制御するためにはどのように介入したらいいのかということを数理モデルを使って考えていこうと、そのような学問ですね。その起源というのは18世紀に、数学者のダニエル・ベルヌーイがおこなった、天然痘死亡率が人間の寿命に対してどのような影響を及ぼすのかという研究に遡ります。この研究はいまでいうコンパートメントモデルの端緒です。後でお話ししますが、人間が未感染から感染、それから回復という各状態を遷移しながら加齢して死んでいくというプロセス、そのようなものをモデルにすることによって、例えば天然痘による死亡リスクというものがなくなった場合に寿命はどう延びるかを考えているわけです。これはいくつかの競合する死因がある場合に、そのうちの一つが取り除かれたら寿命がどの程度伸びるか、という競合モデルのような話の起源ですが、そのようなことをやった。それが一つの初めであります。
(強調は引用者による)
「人間が未感染から感染、それから回復という各状態を遷移しながら加齢して死んでくというプロセス」
「いくつかの競合する死因がある場合に、そのうちの一つが取り除かれたら寿命がどの程度伸びるか」
私は感染症を終息させる対策のためと受け止めていたのですが、それは短期的な視点で、ヒトの寿命まで視野に入れた考え方だったのですね。
そんな発想が18世紀にすでにあったことも驚きです。
2009年にこれを読んでもすんなり理解できなかっただろうなと思います。
自分が痛い経験をして初めて、この行間が読めるようになったのかもしれませんね。
あ、講演文の計算のあたりは読み飛ばしています。すみません。
「数字のあれこれ」まとめはこちら。