ふらりと立ち寄った丸亀市立資料館でしたが、ちょうど「殿様を支えた家臣たち」という企画展が開かれていました。
さらっと眺めながら通り過ぎようとしたところで、ひとつの記録に釘付けになりました。
たくさんの子どもたちへの種痘接種録で、しかも「効果があるようにうつ場所をかえながら」、いつどの部位に実施したのかが細かく記録されたものでした。
誰の記録かというと、「蘭方医学で評判の高かった大阪の緒方洪庵の下で学び、四国で初めての天然痘の予防接種を丸亀で始めたとされる」(「殿様支えた仕事知って 丸亀資料館で企画展 京極家の資料115点」四国新聞社、2023年7月30日)、藩医河田雄禎(ゆうてい)によるものでした。
現代の慎重に行われる治験を経て臨床で使われるようになる仕組みが当然の感覚からすると何とも無謀な人体実験に感じる方法ですが、当時はそれしか天然痘に立ち向かうことはできなかったのでしょう。
その記録は明治期に入った1886年のものでしたが、その75年ほどのち、私が種痘の接種を受けた頃には日本では肩に「切皮乱刺」という方法で、生後半年から1歳までの間に初回、小学校入学半年前までに2回目という方法で行われるようになっていたようです。
その方法になるまでに、部位を変えながら接種を試み効果を観察し続けていた人がいたのだと、立ちすくんだのでした。
この記録から一世紀ほど後の1980年、天然痘の終息宣言が出されました。
さらに1992年には「治療法を試す最も信頼できる方法」の考え方が整理されて、「科学的根拠にもとづく医療」という言葉ができたのでした。
そして、熱中症が広く世の中に警告される時代は、ちょうどこの「科学的根拠にもとづく医療」という言葉が広がり変化し始めた時代と重なることを思い出しました。
*天然痘と種痘についての記事のまとめ*
天然痘や種痘について触れた記事も少し溜まってきました。
ここにまとめておこうと思います。
助産師と自然療法そして「お手当て」 36 整体の歴史と出産の医療化
「記録のあれこれ」まとめはこちら。