昨年末は小平霊園を訪ねたので、新年早々、都立霊園の話が続きます。
1990年代に時々、東八道路を通る機会があって、都立多磨霊園のそばを通過したことがあるのでだいたいの場所は知っていました。ただ、いつも夜だったので、ちょっとぞわぞわする気配を見ないようにしていました。
お鷹の道から国分寺崖線のハケ下を歩き、野川沿いを歩いた時には、そばを東八道路が通っていたのですが、正反対が多磨霊園だったことを帰宅してから気づきました。地図を穴があくように見ているはずなのに、なかなか頭の中の地図は不正確なままですね。
そうだ、今回は多磨霊園の中を通って、野川へ出て、あの湧水をみよう。
そう思って地図の多磨霊園を拡大したら、高橋是清氏の墓地があるようです。
*都立多磨霊園*
武蔵境駅から西武多摩川線に乗り換えて、多磨駅で下車しました。
小平霊園と同じく、西武線の沿線にあります。子どもの頃から乗っていた西武線ですが、複雑な路線図でここだけ離れた路線なのは、多摩川から砂利を運搬するためだったことは以前Wikipediaで読んだ記憶があります。
霊園の前というのは石材店が並んだ参道がまっすぐ通っているイメージでしたが、同じ都立霊園でも、多磨霊園へは細い駅前の道を通り、人見街道を渡った後も曲がった細い路地を歩くようです。わずか2~3分の距離なのに、道を間違えそうになりました。
細い参道の先に、一段高くなっていて、そこが多磨霊園の敷地でした。
野川の河岸段丘の山林を切り開いた故の、段差でしょうか。
東京市公園課長井下清による欧米諸国都市における墓地研究の結果、1919年(大正8年)に東京都郊外の東・西・北に新たに広い公園墓地を整備する計画が提出された。そして、この計画を基にして1920年(大正9年)に東京市の西にあたる多磨村が選ばれ、その2年後には多磨墓地の造営が開始された。この場所が選ばれた理由としては、同地はほぼ未開地であったことや、郊外としては甲州街道や京王電気軌道・多摩鉄道・中央線などの交通網が揃っていたことが挙げられる。造園開始から1年後の1923年(大正12年)に開園した。
東京市街から離れていたこともあり供用開始からしばらくは使用するものはあまり多くなかった。しかし、1934年(昭和9年)に東郷平八郎元帥海軍大将が名誉霊域(7区特種1側1番)に埋葬されたことにより多磨墓地の名前が広まり、これ以降利用者が大幅に増え、現在のような人気の霊園の一つになった。
園内に入ると、1874年(明治7)に市民墓地として開園された青山墓地のような高低差はなく、広大な平地です。半世紀ほどの間に、こうした土木技術の発達もあったのでしょうか。
それにしても、「欧米諸国都市における墓地研究」とはどんな内容だったのでしょう。
広大な敷地の都立霊園は柵で囲まれていて出入り口が少ないのですが、東八道路側への出口を見失って反対へ歩いてしまったため、園内の3分の1ぐらいを歩くことになってしまいました。
*名誉霊域*
中央の道の周辺は、1区画が大きい墓地で胸像やら鳥居が敷地内に置かれるなど豪華絢爛なお墓が続いていましたが、これが「名誉霊域」だったようです。
高橋是清氏のお墓は、「名誉霊域」の一本後ろの区画でしたが、少し広めの墓地でも、墓石は質素でした。そしてその周辺は小平霊園の一般区画と同じぐらいの広さでしょうか。
戦後に開園された小平霊園では案内図でも名誉霊域の表示もなくて一般区画が大半を占めているあたり、戦後の民主主義への意識を反映しているのかもしれないと感じましたが、事実はどうなのでしょう。
出口を探すために霊園の端の方を歩いたら、そのあたりは一般区画をさらに半分にしたくらいの長細い墓地になっていました。
なんだか住宅すごろくとか、20年前は一軒家だった土地が2軒分の家になるような、現代の住宅の様相に似ていますね。
*野川の湧水へ*
多磨霊園を出て東八道路を渡ると、すぐに野川の河岸段丘を利用した広い武蔵野公園に入り、そしてそのまま都立野川公園の広大な敷地へと続いています。
お正月でも今年は行き場のなかったたくさんの人が公園に遊びにきても、まだまだ余裕があります。ほんとうに、こうした公園が整備され、鎮守の森が保護されてきたことをありがたいとこれほど思ったことがありませんでした。
野川の左岸側は小高い国分寺崖線で、雑木林が続きます。それに沿って歩き、西武多摩川線の陸橋をくぐると都立野川公園に入ります。
この辺りではまだ、野川の水量は少なくて小さな小川なのですが、自然観察園が広がるあたりにはたくさんの池が国分寺崖線の下にあります。
このあたりまではけっこう、散歩をする人とすれ違っていたのですが、次第に歩く人がほとんどいなくなったあたりに、目指す湧水があります。
そこに近づいただけで水音が聞こえ始め、野川の水量も増えていくのがわかります。
崖のすぐ下にいくつか湧き水があり、その手前に3匹の猫がいました。
お邪魔しますねと声をかけて、しばらく湧水を眺めました。
周囲には誰もいなくて、湧き水を独り占めです。
この湧き水のあたりを境に、野川は急に一級河川の趣になります。
それでも川のすぐそばを歩けるようになっていて、そのまま大沢の里まで歩き、バスで帰路につきました。
今年もたくさんの美しい水辺の風景と出会えますように。
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