水のあれこれ 255 弘前城のお堀はどこから来た水か

今回の散歩の二日目の日程は欲張ったので、富田の清水を訪ねたあと、まだまだ弘前市内を歩く計画でした。

 

富田の清水の少し先から下り坂になり、川があります。土淵川で、土淵堰(どえんせき)とは違いこちらは岩木川の支流の平川に流れ込む川で、「つちぶち」と読むようです。

弘前城は、岩木川とこの土淵川に挟まれた場所にあります。

 

地図では富田の清水から下りったあたりから100mほど上流で、左手からもう一つの川が合流しています。

この川に沿っていくと、弘前城のお堀の取水口ではないかと思われる「樋の口」を見つけました。

岩木川から南東に水色の線が分岐していて、地図では岩木川へ流れこむ川かと思ったのですが、たどっていくと常盤坂で細い水色の線になってぐいと北へと方向を変えて弘前城の西濠へと続いているので岩木川から取水した流れのようです。

さらに西濠の北端から、岩木川と土淵川に挟まれた地域に水路としていくつも分岐しているように見えます。

 

是非、この樋の口を見てみたいと思ったのでした。

 

*寺沢川沿いに「樋の口」を目指して歩く*

 

朱塗りの橋を渡ると、反対側も弘前城へ向かって上り坂になっています。

土淵川に合流している支流は、二つのその小高い場所の間を流れているようでした。

どこでも見かけるコンクリート張りの深い河川で、水草が生い茂っています。期待せずに覗き込んだところ、美しい水の流れでした。

土淵川本流との川合は、双方から清流とも呼べるような水が水草の中を流れていて、しばらく見入ってしまいました。

 

ここから支流沿いに遊歩道があり、両岸の高い場所に住宅地がある様子は等々力渓谷のようでした。

真冬には、この川は雪で埋まってしまうのでしょうか。

 

水の音を聴きながら両岸の木々や竹を見ながらのんびり蛇行した部分を歩くと、目の前が開けてきて弘前大学附属病院が見えて来ました。

 

病院の敷地沿いに遊歩道を歩いていくと、橋のたもとに「寺沢川」と表示がありました。

赤錆で読みにくくなったその標識はそばの住宅の2階部分ぐらいの高さがあるのですが、よくみると「寺沢川」の文字の下に「昭和52年8月5日 洪水位」と書かれていました。

 

Wikipediaの「土淵川」に書かれていることともつながるのでしょうか。

しかし、市街地を北に縦断する川だけに、明治以降、北川端町南川端町などの川沿いのまちが洪水により頻繁に被害に遭っていた過去がある。

 

 

地図ではわからないのですが、川から急な坂道が病院の方へあり、そこから数百メートルに弘前城の外堀があります。弘前城は高台にあるようです。

ここから目指している樋の口まではまだ2km以上あり、しかも予想以上に市内は高低差があります。この弘前大学医学部附属病院の敷地の坂道を見たら、無謀な計画だったと諦めることにしました。

 

弘前大学医学部附属病院の犬の銅像

 

坂道を上り、病院の西側を歩いていると、犬の銅像が立っています。

病院の敷地なのになんだろうと近づいてみました。

生体部分肝移植世界最長生存犬の像

 

1981年弘前大学医学部外科学第二講座(現消化器外科学講座)では、世界に先駆けてイヌを用いた生体部分肝移植実験を開始した。1988年には移植後40日に及ぶ世界最長生存記録を樹立し、大動物における生体部分肝移植手術技術を確立した。その後、臨床応用へと発展し、難治性肝疾患に苦しむ患者さんの救命的治療法として、世界中に普及した。

この像は、世界最長生存犬「ヨーコ」が移植後元気に散歩する姿をもとに作製した。

 

1981年、ちょうど私が日本にまだ3台しかないCTや、珍しかった集中治療室や透析室がある「最先端の病院」で意気揚々と働き始めた頃で、パルスオキシメーターなんてなくて動脈血採血をしていた時代だったと思い出しながら読みました。

 

「ヨーコ」と名前がつけられた犬の銅像から、日本住血吸虫の寄生虫が初めて発見されて解剖されたネコは「姫」だったことを思い出しました。

 

 

弘前城の外堀のそばを歩きながら、新緑の美しいお城の公園を歩いてみたいと思いましたが、弘前駅前のホテルまでまだ2km以上歩く必要がありそうです。這って歩くような足取りで駅のほうへと向かいました。

 

弘前城のお堀の水はどこから来たか」を確認するはずでしたが、詰め込みすぎの計画で断念した散歩でした。

ただ、弘前城は高台にあり、その周囲を川で挟まれていることはわかりました。

 

 

 

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