先日、新宿駅で総武線千葉行きのホームの最後尾で待っていた時に、こんなところに供養塔があったのかと初めて気づきました。
目の前の別のホームの端に「殉難殉職供養塔」があり、もうひとつ内藤新宿の道標のような碑がそばにありました。
ここ数年、あちこちを訪ねるようになって鉄道建設の歴史や工事現場、そして慰霊碑を知る機会が増えました。
新宿駅のこの供養塔はどういう歴史があったのだろうと検索したら、やはり気づいた方がたくさんいらっしゃるようで多くの先人の記録がありました。
どうやら「よくわからない」ようです。
ただ、慰霊碑をなんだか心霊スポットのような興味で書かれている文が多い中で、「デイリーポータルZ」の「渋谷・表参道・・・華やかな街の「慰霊碑」を訪ねたら、隠れたウラ側の歴史が見えてきた」(2019年5月16日)は都内のさまざまな慰霊碑を訪ねた記録で、この新宿駅についても説明がありました。
我々が普段使う駅にも、殉職者らを悼む碑がひそかにある。
鉄道というのは、失敗からリスクを克服していく仕事の最たるものの一つとも言えるのかもしれませんね。
その記事では、「空襲の爪痕が色濃く残る灯籠」「陸軍経理学校生徒隊慰霊碑」「二・二六事件慰霊碑」「戦地に赴いたプロ野球選手の慰霊碑」「戦没者慰霊碑」「戦犯処刑場跡」「暗殺遭難現場」、そして戦後の渋谷暴動事件で「火だるまになって亡くなった21歳の若き巡査の慰霊碑」などが、華やかな街の風景の中に静かにあることが書かれていました。
散歩をするようになって、私もこうした慰霊碑の前で足を止めることが増えました。
慰霊碑に書かれている内容を読むことで、自分が生きてきた時代を考える機会にもなります。
もしこの小さな碑がなかったら、歴史というのはあっという間に見えなくなっていくのかもしれません。
新しい街や新しい風景に変わろうが、そこに何か記録を留めておくことは大事だと思うことが増えました。
ホームに立っていたら、同じ方向を見ている若い人に気づきました。
視線はその供養塔よりもう少し先、新宿東口のビルの「飛び出す猫」でした。
そうですよね、私も10代から頻繁に新宿駅を利用していたのに、今までこの供養塔は目に入っていなかったのですから。
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