小金がまわる 30 「庶民」の旅行にかける金額

このところ1~2ヶ月に一度は、全国津々浦々へ、水田や川を見に泊まりがけで遠出をしています。

老後への貯金は停滞していますが、節約しながら散歩の費用を捻出し、まあまあなんとか暮らしています。

 

おそらく両親を無事に見送って、それまで面会のための交通費二人の身の回りを整えるための諸費用がなくなったこと、そして競泳観戦のチケットを買わなくなったために少しお金が浮きました。

もともと美容とか装飾品とも無縁ですし、最近は本を買う機会もだいぶ減りましたからその分の余裕で帳尻が合っている感じです。

 

そして行った場所を書き込んだ地図を見せてくれて「あなたも行ける時に行けばいい」という母の一言が背中を押してくれています。

おそらく母も親を見送ったあと、今度は夫や自分の健康がどうなるのかわからないから60代ごろから行ける時にあちこちを訪ねたのだと思い返しています。

 

私の場合、交替制の勤務なので翌月の勤務表が出てから散歩のスケージュールをたてています。

最近のように感染の波によっても作戦変更が必要なので、ギリギリ2~3日前に予約をとることもあります。

ホテルを押さえられれば、あとは連続切符を購入して出かけられますからね。

 

一人で宿泊ができるビジネスホテルがほとんどなので、豪華な部屋や食事とも無縁の旅行です。

地図を眺めて旅館やホテルをクリックすると一泊3万とか十万というのもあってびっくりですが、人それぞれの楽しみ方がありますからね。

 

ひたすら人が行かないような場所を歩いているので、お土産を買うどころか食事さえもとれないこともしばしばなので旅行キャンペーンの支援も使うことはありませんが、まあこれが私の散歩のスタイルだと割り切っています。

運よくご飯を食べる時間が取れたら、地元のお店に入ってふだんよりはお金を使います。

 

年金生活になったらもっと切り詰めた方法を見つけて、行ける時に行きたいものです。

 

こうしたちょっとした贅沢で人生を楽しむのが庶民と思っていましたが、私の「身の丈のあった生活」という感覚とは違う世界がこの30年ほどでどんどんと広がりました。

 

「庶民」ってなんだろうと検索してみました。

世間一般の人々。特別な地位・財産などのない普通の人々。「庶民の文化」「庶民の暮らし」

デジタル大辞泉

 

一般の民衆を指す。<庶>はもろもろの意で、衆庶、百姓(ひゃくせい)も庶民と同様である。庶民は、市民や人民が歴史的規定のもとに自らが政治性や階級性を意識している存在とは異なる。また、産業社会にあって非組織的な存在としての大衆や、民俗学で用いられる伝統的な生活様式、固有文化を保持する人々を指す常民common peopleとも異なる。すなわち、<庶民とは伝統的価値観のなかに埋没している人々>(日高六郎)である。

(世界大百科事典第2版)

 

自分が庶民かと言えばなんだか違うような意味ですね。

 

世の中の人はどんな風に旅行にお金をかけているのでしょう。そのお金はどんなふうに社会の中を周りまわっているのでしょうか。

 

 

 

 

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