新生児のあれこれ 62 馬の「新生児」

中神バス停から佐倉行きのバスに乗りました。すぐ隣りが「水神」バス停です。「すいじん」と読むようです。途中下車はあきらめて、何が名前の由来なのか見落とさないようにと車窓を眺めました。

小さな石の祠が見えたのですが、それだったのでしょうか。もう一度歴史民俗資料館に引き返したくなりました。

 

右手に利根川の堤防が見え始めると、道路の右手の電柱に表示されている住所は「千葉県佐原市」、左手は「茨城県稲敷市石納(こくのう)」で、あの利根川の旧河道と思われる境界線に近づきました。地図では国道125号線よりももっと南西に県境があるのですが、国道沿いの住所表記では二つの県の間を走っているようになっていたのはなぜなのでしょう。

ここから東へと大きく迂回するように国道51号線へと入り、大きな橋がかかる利根川を渡って佐倉市へと入りました。

 

佐倉にある水神社を訪ねる予定でしたが、日が沈みかけたので断念してホテルにチェックインしました。

と、今日のタイトルと関係がない話ですね。

 

ホテルで千葉テレビをつけていたら開田高原の木曽馬の番組で、この日は美浦トレセンに続き馬に縁がある一日です。

 

 

*馬の出産*

 

木曽馬は、数年前に横浜の馬の博物館で見た野間馬と同じ日本在来馬のようです。

 

その番組は馬の出産、母馬の死亡、そして生まれて数日で子馬も死亡した記録で、こんなことをメモしながら見ていました。

馬の出産、チアノーゼ、頭から出た

17歳の馬、子宮脱で母馬死亡

他の馬の母乳をあげようとしたが、馬が授乳を拒否

「人工哺乳はやったことがあるが人間がしんどくなる」

「冷凍母乳を飲ませる、初乳を飲ませなければ生きていけない」

チューブで哺乳、250ml

体重測定、37キロ、木曽馬としては大きく体力がありそう

4日後死亡。冷凍母乳が足りなかった。免疫が不十分。

 

ヒトも胎児から新生児へと境界線を越える時には、真っ青というか紫色(チアノーゼ)の状態で生まれてきますが、馬も同じだと見入ってしまいました。

 

JRAの「馬の資料室」というブログの2015年2月15日の記事に、「4年前にAPGERスコアと呼ばれる子馬の評価方法が発表されました」という記述を見つけました。

ヒトの新生児の状態の評価方法として1953年に提唱されて現在も使われているアプガール・スコアが馬にも適用されているようです。

 

 

*馬の「新生児」期*

 

ところで馬も胎児・新生児と呼ぶのかと思ったら、その「馬の資料室」では「胎子」「新生子」という言葉が使われているようです。

 

いつでも蘇生術が必要な状況が出産で、子馬は生き残ったけれど母馬は死亡した。

ヒトの子宮内反症と同じような病態でしょうか、馬にも出産時の同様の死因があることを知りました。

 

母体から無事に独立しても生き延びるのが大変なのは、馬もヒトも同じですね。

ただし、ヒトの場合初乳は大事でも胎内で免疫を受け取っていない牛のように「初乳を飲ませなければ生きられない」ということはないので乳児用調整乳で育てられるようになりましたが、馬も牛と同じく、体力がありそうな出生時体重でも冷凍初乳が足りなくて死んでしまうことがあるようです。

 

「新生児期」、ヒトの場合は4週間ほどの時期ですが、母胎から独立して生き延びるための複雑な機能が発達する途上の時期であり、まだまだわかっていないことだらけだとちょっと仕事モードになって番組を観たのでした。

 

 

 

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