ちょうど4年前、イートインを利用すると同じ食品なのに消費税が8%から10%になりました。
すっかり忘れてわずか数円でも詐欺罪になる可能性にびびったのでした。
この頃はまだ「国の借金を孫子に残してはいけない」と半ば思っていましたし、消費税は社会保障の財源だと思っていました。
社会保険は人生の予測困難なリスクに出会ったときの経済的損失に備えるための相互扶助システムですから、今までの人生できちんと払ってきたつもりです。
この数年の間に相次いで亡くなった両親はパリッと洗濯した清潔なシーツの上で生活をして、亡くなるまで一人一人が「生きている」そのことだけで十分にその存在が認められ大事にされました。
どちらの施設もスタッフの方々はとても重労働に見受けましたが、80年代には「介護」という言葉すらなかったのに、高齢者本人だけでなく家族も含めたケアを担う専門家集団になり、さらに未曾有の感染症にも対応したことに尊敬の念がつきません。これからはこうした仕事を担う方々の労働条件がさらによくなって、よりよいものへと進化していくのだろうという期待がありました。
「高齢化社会は社会の負担」ではなく、雇用を生み出しさまざまな面で経済を支える分野になりましたしね。
そう、わずか数年ほど前までは。
*つじつまのあわなさが見えてきた*
しだいに搾り取られていく感じが強くなるだけでなく、高齢者に対する医療費や介護費への風当たりが強くなって「年金をもらいすぎ」「裕福な高齢者」というイメージと「無駄な延命治療はやめろ」「安楽死を認めろ」という声が聞かれるようになり、なんだか背筋が凍りますね。
人生の最期というのはそう簡単に決められるものでもないし、イメージするような延命治療のわかりやすいものではなく生活の中で少しずつ時間をかけながら葛藤しながら死を迎えるものだと両親を見ても思います。
でも「財源が」と言われればぐうの音も出ませんからね。
ところが2020年に「消費税は消費に対するペナルティ」「国債は国の借金ではない」という考え方がだいぶ広がってきました。
まだ半信半疑だったけれど、2012年に時の財務大臣が「政府の借金が多いからどんでもねぇなんて言っている人がいっぱいいるけれど何が問題なんです?」と啖呵をきり、それにたくさんの人が拍手をしている動画を見て目がさめました。
手のひらを返したのは一体何があったのだろう。
最近ではまるで断末魔の叫びのように、強権的に健康保険証の廃止を決定したりライドシェアとか大学無償化とか息をつく暇もないほどの政策や方針が決められていきます。
なぜ一介の政治家の思いつきで世の中を無理やり変えようとしさらに反対の手で増税を始めるのか、片手で援助、片手で搾取の現代版でしょうか。
そしてまるで自分は犯罪とは無関係と次々と打ち上げ花火を上げるのは、おそらく息を吹き返すためだろうと見えてきました。
ニュースに出てくる政治家のWikipediaを読んでいると、まるで30年ぐらい前の話いえ下手したら半世紀以上前の話と錯覚しそうなほど同じ政治「家」の名前の関係が続いていることが見えてきました。
そして異様なほど、家族中で繋がっていて、便宜を図り合い分かち合っているのでしょうか。「次期首相候補」名もその中での使い回しのような感じ。絶対に手放したくない何かがあるのですね、きっと。
なんだかなあですね。
なぜ10年間で政治家が大きく手のひらを返すようなことになったのか、その答えが見えるまでは絶対に政治の動きから目を離してはいけない時なのだとニュースを追っています。
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