水のあれこれ 341 深谷駅近くの下台池公園

20分ほど遅れの湘南新宿ラインに乗り、休日の遠出は車窓の風景に集中できるグリーン席を奮発して出発しました。

2階席の眺めは、いつもの沿線の風景がまた違って見えるのも面白いですね。

住宅が密集して崖線もわからなくなった都内の風景から荒川を越え、北本から北鴻巣あたりのここ最近訪ねた懐かしい風景に水路の地図を頭の中に重ね合わせました。

 

ところどころ新幹線の高架橋と並走するのですが、残念ながら一本もまだ出会いません。

気を取り直してまた風景に集中していると、あの六堰頭首工からの水路が見え、水田地帯が増えてきました。

 

10時32分深谷駅に到着しました。

改札を出て深谷駅を外から見ると、真っ青な秋空にレンガ色の駅舎が映えていました。

駅舎の壁に小さな説明板がありました。

深谷駅の経緯

 昭和40年代、昭和9年に改築された駅舎の老朽化が指摘され、駅舎の改築計画が必要となりました。当時は、地方分権が叫ばれ、特徴ある「まちづくり」が各地域で進められており、深谷市でも多くの人々から、歴史と文化のまちである深谷市の玄関としてふさわしい駅舎の建設が求められました。

 そこで、郷土の誇る偉人、渋沢栄一翁にゆかりのある煉瓦に着目し、深谷の工場で生産された煉瓦で建築された東京駅を彷彿させる駅舎を建設することとなりました。

 

昭和40年代、どちらかというと私は都内にでき始めた高層ビルに心を弾ませていた頃で、こうした歴史を見直す動きがあったとは想像もしていませんでした。

渋谷駅はどんな外観になり、どんな歴史が書き込まれるのでしょう。

 

一世紀後の風景というのは、さまざまな思いが反動のように積み重ねられて出来上がっていくのでしょうね。

 

 

 

*なぜ深谷なのだろう*

 

さて、今回深谷を歩いてみたいと思った理由のひとつに、新幹線で通過する深谷はネギ畑が広がる真っ平な土地なのになぜ「深谷」なのだろうと気になっていたこともありました。

地図を見ても、利根川に向けてあの熊谷のように平坦な田園が広がっているように見えます。

 

深谷駅の南側に線路に沿って川が流れ、下台池公園の先で南東から流れてきたもう一つの川と合流して唐沢川になりそのまままっすぐ北へ流れます。途中であの備前渠がサイフォンで交叉する川ですが、もしかしたらこの合流部あたりから深い渓谷のようになっているのではないかと想像していました。

Wikipediaの深谷市の概要にも「上杉房顯が櫛引台地の北端部付近に深谷城を築き」とあり、現在の唐沢川沿いです。

 

推測した「深谷」の由来もいい線を行っているかもしれないと、まずは下台池公園を訪ねました。

多少は下り坂に見えましたが、その先の唐沢川も平地を流れていて谷らしい場所もありませんでした。

 

検索していたら「深谷断層」という言葉を見つけました。

深谷 断層崖の宿場町とレンガ工場、ネギ畑

 

①滝宮神社・深谷断層

深谷市のJR深谷駅南口のすぐ近くにある神社で、その昔この地に現れた湧き水が様々な幸を授け、神様からの地と崇められてきました。その後唐沢川の谷に流れ落ちる様子を滝に因んで「瀧の宮」と称して神社を祀ったそうです。桜の名所としても知られている場所です。

 

深谷断層>

埼玉県には群馬県の高崎から深谷、熊谷、上尾にかけて顕著な活断層帯があることが知られている。そのメンバーのひとつが深谷断層である。

深谷断層は、熊谷市三ヶ尻から岡部町岡まで続く活断層で、荒川の扇状地を北西〜南東に切るように伸びていて、段丘地形のずれから位置および変移速度が推定される。そのずれは深谷市緑ヶ丘から西の6~8万年前の櫛引面では比高5~6mの段差を持ち、北下りになっている。

東京駅を模した深谷駅を出るとすぐ南に深谷断層がある。駅から南に下台池公園に向かうとその途中に坂を下ってくる車道がある。これは深谷断層の断層崖(撓曲崖)を崩した坂である。そのすぐ東に断層崖からの湧水で作られた下台池が見られる。池の周辺は整備されているが、その一角に現在でも水が出ている部分がある。

滝宮神社は断層崖の段差を利用して作られた神社でその上下の比高差は10mに達する。この神社には断層崖からの湧水を水源とする池があり現在でも湧出している。

さくらインターネット

 

ああ、なんと。当たらずとも遠からじですが、バスに乗るために滝宮神社を訪る時間がなかったことが悔やまれます。

そしてやはりあのあたりが「谷」だったのかもしれません。

 

 

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