4月中旬の今回の散歩もいよいよ最終日。4時50分ごろには白々と夜が開け始め、窓の外には雨上がりの街が見えます。
テレビでは江戸時代の庭園とか様式美や形式美についての話をしていました。
再び窓の外を見ると、三輪山から霞が立ち昇っています。刻々と姿を変えながら水蒸気が上がっている様子をあきもせず眺めました。1分ほど目を離したら、霞は消えています。はかないものだと思っていると、しばらくするとまた新たに霞が上がってきました。
子どもの頃に一時期住んだ山間部ではこうした朝もやとか霧を当たり前のように眺めていたのですが、都内に戻ってくると霧でさえ神秘的に感じられるほど珍しいものになりました。
そんな回想にひたっていると、10分ほどで三輪山の西半分が雨雲に覆われました。
最終日のお天気は持つでしょうか。晴れたら黄砂が飛ぶようです。
*門前町を流れくだる初瀬川を見に*
今日はいよいよ大和川の上流部を訪ねます。
ここを歩いてみたいと最初に思ったのが2022年11月に訪ねた時でしたが、日が短い晩秋の季節であきらめました。
この時にはまだ簡単に「近鉄長谷寺駅から初瀬地区の川合を見て戻ってくる」と思っていて、地図からその高低差を想像していませんでした。
今年1月に宇陀を訪ねる前に途中下車してみようと思ったのですが、電車はぐんぐんと渓谷のような場所へと登り始め長谷寺駅は大和川を見下ろすような場所にあることを知って、車内で断念したのでした。
今回は、長谷寺駅から急な下り坂を降りて大和川の川合にある長谷山口坐神社を訪ね、その対岸の門前町の間を歩き、途中大きく蛇行して北へと流れが変わるあたりまで歩いてみよう。
長谷寺まで行けたら訪ね、そこから引き返して三輪駅まで大和川沿いに歩いてみよう。
そんな計画でした。
*川合にある長谷山口坐神社へ*
近鉄長谷寺駅からは大和川を見下ろすような下り坂で、雨上がりで滑らないように気をつけながら歩いていると膝がかくかくしてきました。
交差点に「初瀬」とあり、その少し先が最も低い場所で朱色の欄干が見えます。
「大和川だ!」と心踊りながら橋の上に立つと、山の合間を流れてくる川とその向こうにもまた朱色の鮮やかな橋が見え、鎮守の森が見えます。
その橋が長谷山口坐神社の参道でした。欄干に「大和川」と記されています。
丸い曲線の太鼓橋なので滑らないように気をつけながら、橋の上から大和川の流れをしばらく眺めました。小さな流れですが、水の勢いがありそうです。
鎮守の森に入りました。鬱蒼とした中に、苔むした由緒記がありました。
長谷山口神社由緒記
当神社は長谷山の鎮(しづめ)の神として太古より大山祇(おおやまつみ)の神を祭神としている。第十一代垂仁天皇の御代倭姫の命を御杖としてこの地域の「磯城厳橿(しきいつかし)のもと」に約八カ年天照大神をおまつりになった時、随神としてこの地に天手力雄の神、北の山の中腹に豊秋津姫の神をまつる二社を鎮座せられた。
長谷寺縁起やその他の古文によると この地方は三神(みかみ)の里、川は神河この附近の淵は神河浦と書かれている。第四十五代聖武天皇の天平二年(西暦七三〇年)大和大税帳には長谷山口神社の名が見られる延喜式内社(えんぎしきないしゃ)である。近世になり明治四十二年 初瀬平田にあった豊受神社の豊受姫の神を合祀されている。
当神社は由緒は深く五穀豊穣商売繁昌の神としてうやまはれ国や家々の安泰と繁栄を祈願し氏子里人の守り神としてあまねく人々の敬い奉るところである。
長谷寺も8世紀には建てられていたようですが、当時はどんな雰囲気だったのでしょう。
神河、当時の人のどのような思いがあったのでしょう。
そして大和川(初瀬川)の下流まで、どのように川の流れを把握していたのでしょう。
*大和川が大きく向きを変える場所に立つ*
また朱色の橋を戻り、もう少し上流へと歩いてみました。
側溝からは水音が聞こえてきて、静かな門前町に響いています。
ここもまた灰色の美しい屋根瓦と木壁の家々です。
大きく蛇行した大和川が流れを変える場所にまた朱色の欄干の橋があり、見上げるような石段が延喜天照神社へと続いていました。
その橋の上に立って、また大和川を眺めました。上流側に長谷寺が少し見えて渓谷のような場所に古い家並みが見えます。下流は森へといったん流れが消えていくかのように見えました。
地図で見つけた流れを変える所までは歩いたのですが、長谷寺はあきらめ、大和川沿いに下流へと歩き始めました。
8時過ぎにはまだ曇っていたため暑くはなかったのですが、途中から初夏のような陽射しになり、三輪駅まで歩くのは無理そうで大和朝倉駅までにしました。
黄砂と花粉も怖いですしね。
奈良盆地から大阪平野を緩やかに流れる大和川とは別の川のような流れで、川幅は狭いのですが水量は多く、両岸の水田への堰があちこちある美しい大和川と車窓から見えた美しい屋根瓦の家々の間を歩くことができました。
対岸の中腹を時々近鉄の電車が通過していきます。
三重県との県境まで10キロほどのところですが、近鉄大阪線は名古屋行きの特急をはじめ本数が多いことが印象に残りました。
古代から伊勢と奈良を結ぶ初瀬街道は、現代もまた交通の要所でもあるのでしょうか。
街の中に飛鳥時代とか奈良時代あたりを行きつ戻りつ思いを馳せるような場所があるのですから、奈良にはかなわないなあと思いながら大和朝倉駅に到着しました。
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