近所や都内を歩いていた散歩だったのに、最近は全国津々浦々の川や水路や干拓地だけでなく寺社や古墳まで訪ね歩き、思えば遠くに来たものだと思うことが増えました。
そして一生のうちにもう二度と訪ねることはないかもしれないと決死の覚悟で出かけ始めた遠出だったのに、「そうだったのか」と知ったことが増えた分、知らないことがもっと出てきて再訪することも増えました。
そもそもブログを書き始めたのは出産や授乳の安全性について頭の中を整理するためだったのですから、ほんと、遠くに来ました。
散歩という言葉はいつ頃できて何を意味しているのだろうと検索したのですが、案外と漠然としているようです。「一般的に用いられるようになったのは明治時代」(コトバンク、精選版日本語大辞典)とのことで、当時はどんな感じで「散歩」と使われ始めたのだろうと気になっています。
途中で気になったことのメモや写真から、それにはどういう歴史があったのか、自分の年表を正確にしながら、かつ中央歴史主義史観に陥らないように、もう一度細かな事実を生活の中から見つけていくことで、誰に渡すでもない次世代へのバトンを準備する。
最近の散歩はそんな感じになってきました。
ちょうどキリのいい「散歩する 500」は行基さんの生地を訪ねた記録になりました。
いつも神妙なことを考えているわけではなく、「あれも見てみたい」「あれを食べてみたい」と思って楽しみながら出かけているのですが、帰宅するとやり残した宿題がどんどんと増えて考えることが尽きなくなる感じですけれどね。
ということで、「散歩する」の501からはこちらへとまとめていきます。
「散歩をする」(1〜250)のまとめはこちら。
「散歩をする」(251~500)のまとめはこちら。
<2024年の続き>
507. ただひたすら川と水路と田んぼを歩く〜大井川・天竜川編〜
513. ただひたすら川と水路と田んぼと新幹線を見に〜米原・彦根・日野編〜
518. ただひたすら川と水路と田んぼを見に〜大和から飛鳥へ〜
525. ただひたすら川と水路と干拓地を歩く〜備中・備前、古代から現代へ〜