水のあれこれ 377 大和川の「上流」とは

大和川の上流を歩くと書いたものの、本当にあの場所は「上流」で良いのだろうかと気になりました。

川を訪ね歩くようになって、「上流・中流下流」を正確にとらえるのは難しいものだと思うことが増えました。

 

Wikipediaでは「上流部では初瀬川と称される」と書かれているだけですし、国土交通省の川の説明でもよくわかりませんでした。

 

そうだ、こんな時には「先人の記録だ」と思いあの淀川・琵琶湖・琵琶湖疏水そしてなんと大和川まで実際に歩いた記録を読むと、「大和川 上流 長谷寺門前町と初瀬峡谷 峡谷と谷底平野」とあり、やはり上流部で良かったようです。

 

当日の私の散歩のメモは最終日と暑さで疲れたのか数行しかなく、写真を見ながら回想したのですが、このブログには私が見た風景とその説明が書かれていました。

 

 

他の方の記録を自分の散歩の記録に引用するのは忸怩たる思いもありますが、ああ、そう表現するのかと感嘆し勉強になることばかりでした。

ということで、「大和川上流部」の風景をそのままご紹介します。

 

*「川を気にとめる風もない」

 

▪️長谷寺門前町 桜井市初瀬

 ダムを出た大和川は古刹・長谷寺(はせでら)の門前へ流れてくる。長谷寺は古来より、熱狂的な信仰を呼び篤く尊崇された。長谷の観音さんに詣でる人々のさまは、源氏物語をはじめとする古典文学にも記されている。現在では花の寺として人気が高く、牡丹に桜、初夏には紫陽花と周年賑わっている。古い門前町は2km近くあり、名物の草餅や葛切りに素麺などが売り出される。川はその賑わいの裏手を流れ下ってゆく。左写真は、本尊の巨大な十一面観音が祀られている長谷寺本堂。

 門前町では、川や旅館や土産物屋が密集する裏手を流れる。家々の背割となる、温泉地などによく見られる風景である。山手にある神社の参道などに架かる橋からは川を眺められるが、長谷寺へ参る人はたいてい一回橋を渡るくらいで、あまり川を気にとめるふうも無い。

しかし門前町には水量豊かな水路が走り、涼しげな風景を作り出している。これは上の方で初瀬川から取られた水を流している。上写真にも見えるが、初瀬川にはそうした用水を取るための堰が多く設けられている。様式はかなり古い。

川相の特徴は、巨岩を噛む瀬と堰堤による湛水区間が交互に現れるというもの。河床には水生植物も多く生え、建物の途切れた部分では河畔林も豊かである。

 

そうそう、8時半ごろには人通りは少なかったのですが、草餅などを準備していたお店の方に静かに挨拶をされたのでした。

あの街の中の水路の取水堰も橋の上から見ました。

 

そして私も、散策している他の方はあまり「(大和)川を気にとめていない」ように感じたのでした。

 

 

*「支流の吉隠川流域から続く細長い谷底平野」*

 

▪️羽瀬峡谷 桜井市羽瀬〜慈恩寺

 門前町を抜けた初瀬川は、国道165号をくぐってから向きを大きく西に振る。この先は谷口となる大和朝倉駅付近まで国道と鉄道の間を流れることとなる。

国道はかつての伊勢街道で、谷筋を走る近鉄電車は今もお伊勢さんに客を運び続けている。川はゴロ石が少なくなり幅も太くなってゆく。岸辺には雑草が旺盛に繁茂する。最近、派出所の裏手付近に親水整備がなされ、河畔を散歩するためのウッドデッキなども設けられている。

 初瀬川は、支流の吉隠川流域から続く細長い谷底平野を成し西に向かう。

この初瀬峡谷はなだらかな山に挟まれ明るく開けた谷で、道沿いに街村が形成される。耕作には棚田が多く作られる。

少し高い丘に登ると谷地形がよく把握できる。丘から谷口のほうを望むと、耳成山畝傍山の可愛らしい姿を見ることができる。

 支流の白河川や狛川を入れる付近からは、今までより規模の大きな堰堤が目立ち始める。谷が広くなり耕作地も増え、川の利用度は高くなる。

ここからの流域は田園地帯となる。花卉栽培や野菜畑も見られるが、水田が圧倒的に多い。

 田の間をめぐり、旧道沿いの家並みをめぐりした用水は再び初瀬川に戻される。また、棚田を伝ってきた谷水もやがて初瀬川に入る。

田に水が配水される期間には川に泥濁りが入る。

 脇本地区付近から、谷はいよいよ開けてくる。川相も上流域の様相から中流域のそれへ変わりつつある。

慈恩寺地区で国道をくぐった後、初瀬川は大きく向きを北西に振り、いよいよ大和盆地へ流れ出す。

谷口となる慈恩寺付近では川幅がぐっと広がり、静水域もできる。ここには水草などがよ茂り、生物たちのよい生息地となっている。

 

初瀬の交差点のあたりで大和川と支流が合流するのですが、Macのマップでは支流の名前がわかりませんでした。

「吉隠川(よなばりがわ)」で、ここからは細長く谷底平野だということをこのグログで知りました。その吉隠川も上流から歩いた記録があります。

 

大和川に沿っていろいろな風景を目にしたことが、簡潔かつ正確に書き記されていることにほんと驚きです。

川や自然についての専門知識だけでなく、そこに住む人の生活や水の歳時記まで見えるような文章でした。

 

最近は文章にも科学的な文章があるものだと、なんとなく見えてきました。

 

 

 

 

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