散歩をする 522 帯解から奈良駅へ、ため池を歩くつもり

長谷寺から大和川沿いに歩き、車窓から見えていた灰色の屋根の集落を歩くことができて満足しました。

畝傍山が見え始め、奈良盆地へと戻ってきた気持ちになりながら歩き、もう一息で大和朝倉駅です。大和川に架かる美しい鉄橋と大和川の流れ、最後に「朝倉橋」と彫られた古い橋を渡って駅につきました。

 

大和川左岸にあるこの駅も、息が切れるような坂道を上ったところにあります。

初夏のような蒸し暑さで数キロを休憩なく歩いたので疲れましたがまだ10時、もう一箇所計画していた場所へ向うことにしましょう。

 

と、ホームに向かったら、なんと反対側のホームから列車が行ってしまいました。

2022年11月にこの駅で出発ホームを間違えた失敗があるので今回は慎重に確認したはずなのですけれど、「当駅折り返し」の便をどうやって地元の方は見分けているのかよくわかりません。

 

エスカレーターがないので重い荷物を持って階段をさらに一往復し、ベンチに座り込みました。

桜井駅で近鉄からJRの乗り換えは3分で、旅の最初なら頑張れそうですが疲れが溜まった最終日です。もう無理するのはやめようとまほろば線を一本見送り、また30分ほど桜井駅のベンチでぼーっと過ごしました。

でも、奈良にいられる時間だけでも幸せですからね。そこに住んでいるかのような時間の過ごし方も散歩の醍醐味ですね。

 

 

帯解駅からため池を歩く*

 

奈良盆地のため池や周濠を歩き尽くしたいという無謀な計画の中でも、特に目を引く大きな池が帯解(おびとけ)駅のそばにあります。

どれだけ大きいかというとJRまほろば線の帯解駅と櫟本(いちのもと)駅間が2.5kmで、その4分の1ぐらいの長さです。

 

今回の散歩の最後の計画はここを訪ねて、北へと奈良駅までのいくつかのため池のそばを歩くというものでした。

途中、南北に走る県道754号線まで出ればバスはあるので、疲れたらそこからバスでと思っていましたが駅に降りた時から歩ききる自信がなくなり、広大寺池はあきらめました。

 

西へと歩くと住宅地のそばにもう一つ無名のため池があります。

ため池のそばには神社と公園があり、水面が美しい池です。南西側への水田地帯への水音が聞こえてきました。

緩やかに坂を下ると広大な田んぼが目の前に開け、20羽ぐらいの白鷺が休んでいました。

JR大和路線とJRまほろば線にはさまれた場所には、こうした水田地帯がずっと広がっています。

いつかこの場所を歩いてみたいと思っていたのでした。

 

交通量が多い県道沿いを歩くのはちょっと辛いのですが、若草山も見えて奈良駅が近くなってきました。

途中、周囲に古い家々が残る北之庄地区に美しい土手に囲まれた大きなため池がありましたが、名前はわかりませんでした。

どんな歴史がある街とため池でしょう。

 

美しいため池と田んぼを見ていたらもう少し歩けそうな気がして、東九条池を目指しました。

この池も、途中道路で分かれていますが南北に数百メートルはありそうです。

残念ながら歩道よりも高い土手が続き、途中、少し水面が見えただけでした。

 

計画ではこのあと、もう一つ古墳を訪ね、奈良駅前の幻のため池から流れる川をたどって奈良駅まで歩く予定でしたが無謀すぎました。

 

バス停で立って待つのもめげそうなくらいの疲労感でしたが、ふつふつと次の計画がもう湧きあがりながら、今回の散歩が終わりました。

こういうのを計画倒れというのでしょうが、やり残した宿題をまた次に出かける口実にするという楽しみになってきました。

 

 

*北神殿バス停*

 

奈良駅へ向かうバスに乗ったのが北神殿バス停でした。

てっきり「きたしんでん」バス停と読むのかと思ったら「きたこどの」だそうです。

そして全国にある神殿町を見ると、愛知県豊田市神殿町(かんどのちょう)、京都市左京区下鴨神殿町(しもがもこうどのちょう)と読み名がそれぞれ違うようです。ほんと、日本語は難しいですね。

 

Googleの「神殿町の由来は?」にはこう書かれていました。

神殿は平安時代の光福寺大乗院領の荘園名「神殿荘」に由来する。神社に供える米をとる(コウデン=神殿)の意味だとされている。北之荘は戦国時代からの興福寺寺門領大乗院領の荘園名「北荘」「北 荘」に由来するが「北」の由来は不明である。

 

バス停の読み名から、「神社に供える米をとる」場所や北之荘についても知ることができました。

 

計画倒ればかりの3日間でしたが、思い返しているとまた興味が尽きません。

次はどこを歩きましょうか。

 

 

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