散歩をする 525 ただひたすら川と水路と干拓地を歩く〜備前・備中編、古代から現代へ〜

4月中旬に大和から飛鳥を歩いたあと、3週間ほどで次の遠出に出かけました。

 

2018年の倉敷の水害を機に祖父母の田んぼの記憶から岡山平野の干拓地の歴史がつながり、かつては遠浅の海だった岡山平野を歩いてみたいとあちこちを訪ねるようになりました。

 

それまでは岡山の干拓というと私が生まれる少し前に完成した児島湾締切堤防のある海沿いのことだけを思い浮かべていました。

干拓」というのは八郎潟と同じく近代的な技術によるものだと思っていました。

まさか、奈良時代から小規模の干拓を繰り返しながら陸地にしていった歴史だったとは。

 

まさに長丁場で、海や湖を陸地に作り替えるだけでなくそこに水を安定して引き、確実に排水させる試行錯誤の歴史で全国津々浦々の美しい水田が築かれてきたのですね。

 

岡山平野を地図で眺めていくうちに、「この水はどこからきたのだろう」ということを確認したくなりました。あるいは新幹線や在来線の車窓から堰が見ると「この水はどこへいくのだろう」と地図で確認しています。

 

岡山に入ると最初にわたる美しい川が吉井川で、E席から見える堰をいつか訪ねてみようという計画がそのままです。

1日目はその坂根用水取水堰を訪ねたあと、吉井川右岸と旭川から分岐した百間川の左岸に挟まれた干拓地を歩いてみましょう。

 

以前、高梁川左岸に総社市の方へと水路があることを地図で見つけたのですが、備中高松城の水攻め史跡公園を訪ねたときに、湛井(たたい)十二ヶ郷用水だと知りました。

2日目はここを訪ね、その後吉備線吉備津駅から山陽新幹線の北側に見える広大な水田地帯を歩いて懐かしい犬養木堂記念館から水路の美しい庭瀬を再び訪ね、足守(あしもり)川右岸の水田地帯をJR瀬戸大橋線妹尾駅まで歩くことで干拓地の長い歴史を縦断してみましょう。

途中、公共交通機関がないのでちょっと無謀な計画になりそうですが。

 

今回の散歩は水島工業地帯のすぐそばに宿泊してみました。

高梁川には高梁川東西用水がありますが、東側の水路は祖父母の水田がある地帯へ、もう一つの西側は水島工業地帯の方へと水を運んでいます。

 

子どもの頃は日本が工業国を目指して公害がひどくなっていった時代ですから、同じ倉敷市内にあってもほとんど通ったことのない場所でした。

ここ数年で倉敷を行き来するようになり、追憶の散歩が増えるにつれて、訪ねてみたくなりました。

工場の敷地ギリギリまで水田があるようです。そのあたりを歩いてみたい、その生活はどんな感じでしょう。

干拓地から工業地帯へ、そして半世紀ほどたってその二つの風景が共存しているようなそんな場所です。

3日目は水島港から東へその水田との境界線のあたりを歩いて、福田公園のため池まで歩くことにしました。

 

 

全国各地の干拓地らしい場所を訪ねては、年に1~2回、自分の故郷のような気持ちで岡山を訪ねています。

四季折々どんな風景か見てみたいと思っていましたが、春夏秋冬を経験することは達成できました。

そうなるとまだ経験したことがない月に訪ねてみたくなります。

そういえば5月の爽やかな季節に訪ねた記憶がありません。これはぜひと思い出かけました。

 

祖父母の田んぼの5月は、田植えが始まっていたのだろうか、それとも終わっていたのでしょうか。そしてどんな水の歳時記用水管理の責任があったのでしょうか。

そんなことも知らないままでした。

 

 

ということで5月初旬、岡山を歩いた記録が4ヶ月遅れでしばらく続きます。

 

 

 

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