かつての烏山川右岸の小高い場所に立つ桜木中学校の校庭の下を貫いて、都道427号線が南へと通っていました。縄文時代にここに住んでいた人たちには、小さな川沿いの緑深い場所だったことでしょう。
その都道へ出るために鬱蒼とした森のある勝光院の方へ歩いてみると、そこから急な下り坂で、その下に世田谷線が通っています。今まで市街地を走っているのんびりした世田谷線だと思っていたのですが、周辺はけっこう起伏があることを知りました。
地図では住宅地の間を下って世田谷通りまで出れば、あとは松ヶ丘交番前の道を入ればまっすぐ馬事公苑にたどり着くはずなのですが、実際には住宅地に行き止まりがあったり宅地の高低差や直角ではない交差点などに気を取られて、どこを歩いているのかわからなくなりそうなのでGPSを頼りに歩きました。
休日だというのに世田谷通りはバスが頻繁に通過し、渋谷行きも反対方面も満員です。
いつの間にこんなに人が住むようになったのでしょう。
「丘」というほどの小高さではないのですが、ゆるやかな上り坂の両側にはぎっしりと戸建の家が立っています。その間に小さなお社が祀られていて、黄色いゆりが咲いていました。
半世紀ほど前の記憶を引っ張り出すと、三軒茶屋以西のあたりは環八までまだまだ畑がけっこう残っていたような。さらに1960年代のオリンピックの頃もまだ「原野」に近いような場所も残っていたのではないか、今度確認しなければ。
そう思っていたら、開けた住宅地に出ました。
ちょっと米軍基地を思い出すような、2階建ての低層の団地で、家の周りも樹木や芝があるのでゆったりしています。
こういうのを「瀟洒な住宅地」というのだろうな、こんな公共の団地に住めるのはうらやましいなと思ったら、「馬事公苑弦巻舎宅」とありました。
半世紀前はまだこういう空が見え、住宅の間もゆとりがある地域が多かったのですけれど。
*馬事公苑へ*
それまではあまり人と行き交うこともない静かな道でしたが、馬事公苑通りに出るとにぎやかになり、周囲にもマンションがあちこちに見えました。
それでも広大な敷地なので、そこだけぽっかりと大きな空間です。
入り口に近づいただけでどこからともなく馬の香りがしてきますが、姿は見えません。イベントがないと馬をみることはできないのかなとトボトボ歩いていると、「馬優先(Hose Priority)」の標識と砂の敷かれた道がありました。
道の東側をみると、大きな厩舎が並び、体を洗ってもらっている馬の姿が見えます。
美しい姿ですね。
柵の外にいる人たちの中に父がいるような気がしながら、しばらく馬を眺めました。
馬の世話をしていらっしゃるのは若い女性が多く、いろいろな可能性を持った仕事がある現代をちょっと羨ましく思いながら、いい時代になったのだと思うことにしましょう。
敷地の端に樹木が多い場所があり惹きつけられるように近づいてみると、まるで幼少の頃を思い出すような雰囲気です。「武蔵野自然林」とありました。
半世紀ほど前でも、水を得にくい武蔵野台地にはあちこち雑木林が残っていたのですからね。
雑木林の静寂の中、「愛馬碑」「馬事公苑馬霊供養塔」がありました。
また「馬優先」の道を超えて、大きな建物まで戻ると案内板がありました。
引退競走馬が活躍する馬術大会
「JRA ジャパンブリーディングホースショー(内国産乗用馬・引退競争限定障害馬術大会)」は、その名の通り"内国産乗用馬ならびに引退競争馬(サラブレッド)”を対象とした競技会です。2009年に第1回大会が旧JRA馬事公苑の芝馬場(グラスアリーナ)にて開催されました。この芝馬場は、1964年東京オリンピックで馬場馬術競技場として使用され、その後もレガシーとして大切に管理・使用されてきた歴史と重みがあり、多くの馬術選手にとって憧れの場所でもありました。2017年にはメイン競技として「Japan Racing Cup(サラブレッド限定)」が新設されるなど、競技会のレベルが向上するとともに、本大会に対する注目度も年々高まりを見せてきています。
馬にとっては競技期間と引退後の時間はどちらが長いのだろう、馬の生活も知らないままでした。
*「馬事公苑の由来と苑訓」*
門を出る前に、「馬事公苑」と彫られた石碑の横に小さな案内があるのが見えました。
馬事公苑の由来と苑訓
馬事公苑は、騎手の養成、馬事普及及び馬術振興のため、昭和15年9月19日に開苑しました。
この碑は、開苑当初の正門の門柱として使われていたものです。
馬事公苑には苑訓として次の三訓が掲げられてます。
騎道作興(きどうさっこう) 至誠を持って騎道を興すべし
意味、誠実・まごころを以って騎道を作興(盛んにする・ふるいおこす)すること。
百練自得(ひゃくれんじとく) 努力を以って百練自得すべし
意味、百練自得には、百回同じことを練習して、やっと一つの事を体得する。という意味の他に、人が1回練習するのであれば、自分は100回練習せよ。人が10回練習するのであれば、自分は1000回練習せよ。という意味として使われる。要するに、努力して100回(又は人の100倍練習)して自分のものに会得せよ。ということ。
人馬一如(じんばいちにょ) 和協以って人馬一如たるべし
意味、和協(やわらぎ親しんで心をあわせること。お互いに折り合いをつけること。話し合い。音の調子をあわせること。)を以って、人馬一如(人馬一体・人と馬はひとつ)になること。
この苑訓は、時が移り変わり人が変わっても、馬を愛し馬術を志す人の心に、脈々と受け継がれております。
馬術は金持ちの道楽ぐらいに思っていたのですが、なんという思い違いをしていたのでしょう。
そしてこの三訓は、まさにこの半世紀ほどヒトの社会の中で軽んじられ見失った、大事なことですね。
しばしこの碑の前で考え込んだのでした。
時が移り変わり、周囲の住む人が変わり風景が変わってもこのあたりに落ち着いた街が続くような気がしてきました。
「落ち着いた街」まとめはこちら。