カンガルーケアを考える 5 <「正期産児に対するカンガルーケアの進化論的視点?」>

正期産児に対するカンガルーケアの進化論的視点とは>


周産期や小児医療に携わる人以外でも、「母親の愛着行動」「母子相互作用」「母と子の絆」などはどこかで耳にしたことがあるのではないかと思います。
記憶に間違いがなければ、1970年終わり頃に看護学生だった時に愛着(アタッチメント)、母子相互作用(エントレインメント)、母と子の絆(ボンディング)について学びました。日本語よりも括弧内の英語の方が記憶に残っているのは、何か日本語訳がしっくりこなかったからかもしれません。

こうした理論などは不得手で十分な知識はないのですが、1950年代のジョン・ボウルビィによる愛着理論を土台にして、1970年代にクラウス、ケネルによる母子相互作用、母と子の絆に発展したもので、乳幼児やこどもは養育者との関わりによって信頼関係を築きながら成長・発達していくというまとめになるでしょうか。


学生だった頃の日本の産科というと、完全に母子別室、3時間毎の規則授乳でした。授乳時間が決められて、3時間毎にお母さんたちは授乳室に行き、赤ちゃんを「受け取って」授乳をしていました。赤ちゃんが眠っていても起こして直母(ちょくぼ、おっぱいをあげること)をし、直母の時間も片方5分1往復とか決められていて規定量のミルクを足して終了という方法でした。赤ちゃんがまだ眠りにつかなくても新生児室に預けてお母さんはお部屋に戻る、そんな感じでした。
「自律授乳」とか「母子同室」という言葉も聞いたことがありませんでした。
出産の直後も、赤ちゃんは諸計測や沐浴(その頃は出生直後にすぐに沐浴をしていました)の後、少しだけお母さんに顔を見せて新生児室に預けられていました。
お母さんが赤ちゃんに会えるのは、新生児室の窓のカーテンが開く面会時間に窓越しで我が子を見る時と、産後1日目からの授乳時間だけという時代でした。


1980年代に入って、急速に産科病棟は変化し始めます。授乳時間を決めないで「いつでも赤ちゃんが欲しいときに欲しがるだけ」授乳をする自律授乳が広がり始めました。そのためにいつも赤ちゃんとお母さんが一緒の母子同室で、同じベッドにいられるようになりました。とはいっても多くの病院が母子別室を基本として設計されていたので、入院部屋に赤ちゃんを同室させるためには設備面でも、スタッフの対応面でもたくさん解決しなければいけないことがあります。理想通りにはなかなかいかないことがたくさんあります。


この急速な変化の背景に、上記のアタッチメント、エントレインメント、ボンディングといった考え方が大きな影響を与えてきました。
日本に母子相互作用という考え方を広げてこられた小児科医の小林登氏が書かれた文を、下記のサイトで読むことができます。
小林登文庫、「こども学」事始め
http://www.crn.or.jp/LIBRALY/KOBY/HAJIME/cbs0029.html
(サイトへうまくリンクできないようなのですが、サイトマップの「『こども学』事始め」を検索してくだされば母子相互作用などについての記事がみつかります)


今、あたりまえのようにお母さんと赤ちゃんが一緒にいられるようになって、本当に良かったと思います。
新生児室で授乳時間がくるまで抱っこもされずに泣いていた赤ちゃんや、起きてくずっていても「飲みたい」という欲求だけではないのに無理やり直母やミルク授乳をされていた赤ちゃんたちのことを思い出すと、かわいそうなことをしていたなと今でも涙がでそうになります。
新生児には暗黒の時代だったのではないかと。


ただ気をつけなければいけないのは、母子別室・規則授乳で「母子が引き離されていた」のも決して「病院の都合」だけでしていたわけではなかったということです。
わずか50年まえの日本でも、栄養不足や感染症で命を落とす赤ちゃんがたくさんいたのです。
50年前、私が生まれた頃です。私自身はすでに豊かになった日本の記憶がほとんどですが、それでも現在とは比べものにならないほどの物のない不便さや食事の質素さなどは記憶にあります。
その頃の産科・小児科の先生方にとっては生まれた赤ちゃんが感染症や栄養不足にならないようにということが、最優先課題だったのだと思います。
「新生児室にすぐに児を預かる」のは、私の学生時代でも主に感染予防の観点からでした。
一時的には母と子を離すことになっても、「永遠の別れ」にならないようにというリスクとデメリットを考えたその時代の必要性だったのだと今は理解しています。


でも生まれたばかりの赤ちゃんが何かを呼びかけて泣いていても、たくさんの赤ちゃんがいる新生児室ではすぐに応えてあげられないことがほとんどです。
「赤ちゃんは泣くのが仕事」「赤ちゃんが泣けば、肺が丈夫になる」というのは、大人側の言い訳かもしれないですね。
乳幼児は呼びかけそれに応えてもらうことで信頼関係を築いたり、相手の表情や声からたくさんの刺激を受けて成長・発達していく。
「進化論的視点」は、赤ちゃんの大きな味方になってくれたことでしょう。


赤ちゃんにとっては母親はかけがえのない大事な存在であることは、異論はありません。
でも赤ちゃんが世の中に信頼関係を築くたのめ養育者というのは、周囲の世話をするすべての大人が含まれると思います。
そしてその信頼関係は何かをしたからすぐに得られるものではなく、繰り返し繰り返し関わっていく中で築かれるものではないでしょうか?
それにいつでも聖母のような微笑をたたえてはいられず、あわただしい中いらいらすることもありますよね。でも黙々とおっぱい(あるいはミルク)とオムツの繰り返し、それも赤ちゃんにとってはとても大事な信頼関係だと思うのです。
「忍耐こそ愛」ですね。


「カンガルーケアをしたことがその後の母子関係に良い効果をもたらす」という視点ですすめられていることが、私には正直なところ胡散臭いと感じてしまうのです。
それは「カンガルーケアをしなければその効果を得られない」と言っていることですから。
カンガルーケアをしてみたいと思うお母さんは安全に十分注意しながらしてみればよいと思います。
でもそれは、赤ちゃんを直接肌に触れて抱っこしてみたい、という気持ちだけで十分ではないでしょうか。


次は、カンガルーケアの効果を謳う人たちはどんな考え方があるのか、考えてみます。




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