助産師と自然療法そして「お手当て」20 <助産師とマクロビのつながり>

助産師とホメオパシーについて調べていた時に、「前置胎盤に効くレメディ」なんていうものを使っている助産師がいることに心底驚きました。


そして「助産師、マクロビオティック」で検索すると、こんな話が。

妊娠前期に前置胎盤と言われました。(中略)
マクロビに詳しい、自然出産専門の助産師から「食養だけで必ず治るから。身体が陰性になっていると胎盤は子宮の入り口についてしまうの。身体を陽性にもっていけば必ず子宮(*)は上がるよ。頑張ろう!」
(*)胎盤のことだと思いますが、原文のまま。

結局、「前置胎盤は治った」とのことですが、それは妊娠初期の低置胎盤が無事に上がっただけで臨床では時々見ること。


助産師がよくつかう「からだづくり」という範疇を超えたマクロビオティックが、助産師の間にいつ頃からどのように広がりだしたのでしょうか。


<山西みな子氏とマクロビの出会い>


ホメオパシー助産師に広がりだしたのが2000年に入ってからのようで、「自然分娩ができる菜食対応の産院」のリストが掲載されている大森一慧氏の本が2005年出版です。


これは医療全体の中で統合医療代替療法に関心が高まったという時代背景もありますが、助産師がマクロビと出あったのはもう少し前のような印象です。


doramaoさんの「とらねこ日誌」の、「玄米菜食と助産院 その結びつきは?」の中に参考になる部分があります。


自然育児友の会の山西みな子氏が、1988年に正食出版から「母乳相談110番ー母乳育児のQ&Aー」を出版していたことが紹介されています。
正食出版というのは、マクロビを広めるために設立された出版社です。

母乳の質は、母親の食事に大きく影響されるというものがあり、これを体質にした食事法が玄米菜食と謂うことになります。
(上記記事より引用)

1988年、当時はそういえば「母乳の質」「よいおっぱい」「わるいおっぱい」という表現が確かに盛んに使われていました。
よくわからないままに、私も使っていた時期があります。


ちなみに山西みな子氏は助産師で、こちらの記事で紹介した医師の母親です。



<無双本舗のブログから>


マクロビ関連商品を扱っている無双本舗のブログに、山西みな子氏とのつながりが書かれている部分がありました。
(リンクはせずに、最初の[h]をはずしてあります)

助産院の先生が里芋シップを使っていただいています 1
2006年12月13日
ttp://blog.livedoor.jp/m_honpo/archives/50552560.html


当社で通信販売を始めて二年ほどになります。皆様からのご注文はもちろんですが、開業されている医師や助産師さんからご注文頂く事が増えてきました。


乳幼児とお母さんばかりの健康学園という一週間のキャンプを十年ほど続けたことがあります。子育てに苦労されていたお母さん達が参加してくださいました。この学園も随分昔のことになります。


当時、助産師の山西みな子先生もゲストで参加していただいていました。母乳育児の大先生です。ですから、食べ物も自然なものを、母乳のケアも里芋シップや生姜シップ、ハーブオイルなどを使っておられました。

続きの「助産院の先生が里芋シップを使っていただいています 2」では「芋シップ、アロエシップ、雪ノ下」を使用していることについて、山西氏の考え方が「母乳を育てるコツ」という本から引用されています。孫引きですが、紹介します。

病院で働いていると、そうした民間療法的な方法をすすめるのには抵抗も大きく、専門職間の意志統一もままなりません。医療の専門職は押しなべて、ケミカルな薬物の方が効き目があると信じ込んでいます。実際効果の良い物もあるには違いないのでしょうが、こと授乳期の乳房に関する限り、自然療法としての民間療法は見直される価値があります。

私が助産師になった1980年代終り頃にも、授乳期の乳房に対応するための「ケミカルな薬物」というのは軟膏ぐらいだったと思います。


なぜ山西みな子氏がケミカルを否定的にとらえ、自然なものがよいという考えにいたったのでしょうか。


それには、1970年代から問題になったアレルギー性疾患との関連があるのかもしれません。


群馬大学松村龍雄教授と除去食>


1980年代終わり頃に、実は山西みな子氏の講演を直接聞いたことがあります。
その中で印象に残ったのが、群馬大学の松村教授が勧めている妊娠中からのアレルゲンとなる除去食の話でした。


当時の医学的な知見としては決してトンデモな話ではなかったのだろうと思います。
そのあたりについてわかりやすくまとめたものが、母子健康協会という団体のサイトにありました。
「食物アレルギーへの考え方の今昔」
東京慈恵医科大学名誉教授 前川喜平氏 (平成22年)

日本で食物アレルギーという言葉を最初に唱えた人は、1970年前後に在任していた群馬大学小児科の松村龍雄教授です。

胎内感作ではなく過敏症であることが後で判明しました。

乳幼児の食事制限、妊婦の食事制限の全盛時代となったわけです。やっているうちに、過度の食事制限がどうも特異抗体値と重症度が比例しないとか、いろいろなことがわかってきたわけです。そういう矛盾とかいろいろなことを含めて、食物アレルギーをもう一回見直そうというのが今の趨勢です。

このようにアレルギーに対し、妊娠中や授乳中の過度の食事制限が勧められた時代背景もあって、山西氏とマクロビが出合ったのかもしれません。あくまでも憶測の域ですが。


1980年代当時は、今ほど出産・育児に関する本もなかったことは以前書きました。
助産師がそれぞれの実践を検証して標準化するというシステムもなく、主婦の友社から出版されていた桶谷式の本と、少し後に出版され始めた山西みな子氏の自然育児系の本が助産師にとって貴重な参考書となっていったのでした。


新たな医学の知見に対応することもなく、批判を受けることもなく、助産師の中に広がりつづけたのだと思います。
なんとなく母乳のためによさそう、アレルギー予防にもよさそうという雰囲気で。


助産師とマクロビの広がりは、1980年代あたりかもしれません。




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