産後のトラブルを考える 6 <産後の排尿障害にどのように対応してきたか>

こちらの記事で、産褥期の排尿についての最近の資料を紹介しました。



今回は、私が1980年代後半に助産師になって以降、産後の排尿トラブルへの考え方はどのように変わってきたのか、あるいは変わっていなかったかについて少し見ていこうと思います。


<1980年代・・・助産婦学校の教科書より>


「母子保健ノート2 助産学」(日本看護協会出版会、1987年)では、「正常褥婦のケア」の中の「排泄」として以下のようにまとめられています。

膀胱・直腸の充満があると子宮の復古は妨げられる。
出産による腹圧内圧の激減による便尿意の感じにくさ、分娩時の骨盤底や尿道の過度伸展や圧迫による損傷、産道の損傷など、縫合部の疼痛や、離開に対するおそれ、腹壁弛緩による腹圧のかけにくさ、安静などから、産褥期には便秘や排尿困難等の傾向がある。

ケアの実際として分娩直後の尿閉に対しては書かれていますが、産後の尿失禁については書かれていません。


産褥体操のところで、産後尿失禁について書かれた部分があります。

妊娠、分娩によって伸展・弛緩した腹壁筋や骨盤底筋の緊張を回復させ、腹腔内臓器の機能回復を促進し、排泄機能を整え、頻産婦などにおこりやすい子宮下垂や脱、産後尿失禁などを防止・回復させ、産後の性生活に好結果をもたらす。

これを読み返すと、産後の尿失禁は初産よりも経産婦へのケアとして受け止められていたのかもしれません。


当時私が勤務していた施設でも「産褥体操」を説明していましたが、実際に尿失禁が続くなど切羽詰った問題があるからというよりも、「やっておけば年をとってから効果がありますよ」ぐらいのものだったと思います。


<1980年代から90年代の骨盤底筋群へのアプローチの変化>


1988年に出版された「会陰の切開と保護」(ペリネイタルケア冬季増刊号、メディカ出版)に、シーラ・キッツィンガー氏が書いた「骨盤底意識」という文が掲載されています。
ちなみにシーラ・キッツィンガー氏は70年代から80年代の世界中の「自然なお産」の流れでは中心的な社会人類学者です。



この文章の中で、キッツィンガー氏はそれまでの骨盤底筋への考え方を以下のように批判した部分があります。

骨盤底の体操はもっぱら、妊娠期間中にその筋肉を強め、常態にするため、また産後によい回復をするためにときどきその指導がなされるのだ。

しかし、骨盤底のもつ"与える"という機能は、軽視されている。さらに現在は、妊娠中に体操をすることを勧めており、また強固な筋肉が、容易な分娩には欠かすことができないと強調する本も多くあるため、妊婦の数多くは、強固な骨盤底形成を目標としている

キッツィンガー氏は、骨盤底を強固にするのではなく、骨盤底の筋を意識することで「骨盤底筋肉も同じように、自発的に動くことができる。骨盤底は生き生きとしているのだ」と書いています。
そして「自然なお産」とは本能に任せただけではないとしています。

出産時に、なぜ骨盤底の認識と(その筋肉運動の)調整が力と挑戦力をもたらし、必ずしも本能にまかせておけない理由がたくさんある。

ただ、キッツィンガー氏のこの文章もあくまでも出産と産後の性生活に注目した内容で、排泄トラブルまでは視野に入っていないようです。


おそらく、まだ出産年齢が20代中心だったということがあるのでしょう。


1980年代半ば頃まで、出産教育の中でどのように骨盤底筋群がとらえられきたのかはまだ勉強不足と資料不足なのですが、この時代あたりがもしかすると分娩介助者の中にも骨盤底筋群を強く意識する時代に入ったのかもしれません。


<1990年代終わりの頃の変化>


1998年に出版された「助産婦のための退院指導マニュアル」(ペリネイタルケア'98新春増刊号、メディカ出版)には、「高齢出産者への保健指導、骨盤底筋群強化の必要性」が掲載されています。

ここでは、出産後の骨盤底筋の断裂や疲労がおこりやすいことをふまえ、高齢出産者への回復過程へ向けた援助と退院時の生活指導について、事例を通して述べる。

出産年齢と排尿トラブルの関係で書いたように、ちょうど多量の尿失禁や尿失禁が長期化する人が多くなった気がしていた時期です。

出産後は骨盤底筋の断裂や疲労が起こりやすいことをふまえ、高齢出産者への産褥期の回復過程を、骨盤底筋群の役割と産褥期のアセスメント項目と関連させて述べ、事例を通してケアの方向性を示した。骨盤底筋群の運動を持続させるために、助産婦は退院後の継続支援をする必要がある。

そして「高齢出産者の骨盤底筋の回復を促進するための退院指導」として、骨盤底筋群の体操と休息の必要性、体重コントロールなどがあげられています。



<コンチネンスケアの広がり>


1990年代初めの頃になると、看護の中で「コンチネンスケア」という言葉を聞く機会が多くなりました。


高齢化社会の中で、男女に関係なく排泄の悩みへの対応を求められるようになりました。
あるいは、癌をはじめ疾患に対する治療が進歩するに連れて、余命は伸びたけれども人工肛門人工膀胱、あるいは自己導尿など排泄の管理やコントロールが必要な方も増えました。


現在NPO法人 日本コンチネンス協会として活躍している方々が、この排泄ケアの標準化に貢献されてこられたと認識しています、


こうして周産期医療の中でも、産褥期の排泄(主に排尿)トラブルへの対応の臨床経験も蓄積され始めました。


ところが高年出産が増えて骨盤底筋群の回復のためには休息(横になる)がより重要性を増してきた同じ頃、「完全母子同室」「分娩直後からの同室」「母乳のみの頻回授乳」の流れに押され気味になってしまったのが2000年代から今日ではないかと思います。


そして今回、1998年の資料を読み直しながら、私自身が「骨盤底筋群の断裂と疲労」という文字を読み飛ばしていたことに気づいたのです。
その行間を読めば、「恒久的な障害を残す可能性がある」ということだったと。





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