気持ちの問題 1 <距離感が縮む>

このところ「気持ちの問題」というキーワードがずっと頭の中にあって、こんな記事も書いてみました。
「気持ち」ってなんだろう。
少し考えてみたくなりました。いえ、「考えた」つもりが単に気持ちの内容になりそうですが。


今回は人との距離感が縮むことについてです。


私が勝手に親近感を抱いている方が二人います。
福山雅治氏とマツコ・デラックス氏です。
テレビの向こうの方ですから、本当に一方的です。


震災前まではほとんどテレビを観なかったので、福山雅治氏も「電車広告でみるキューピーマヨネーズの人」ぐらいしか知らなかったし、マツコ・デラックス氏もインパクトはあるけれどどこかで見た人ぐらいでした。


震災後にたまたま見つけた「NHKスペシャルホットスポット 最後の楽園」で、熱帯雨林や砂漠を歩く福山雅治氏を見て、自分が東南アジアやアフリカで暮らした時の記憶と重なり、一気に親近感がわきました。


ただ、お二人への気持ちの距離がぐんと縮んだのは、別の理由です。


お二人と私に共通していることがありました。
それは、お風呂の後に水滴を残さずに拭き取ることを実践しているらしいことを、それぞれ違う時期でしたが対談記事などで知ったのでした。
「うん、この人は『信頼』できる」と、自分の中の勝手な基準に合致したのでした。


まあ、たわいのない気持ちの問題ですね。


<国や地域への関心から距離が縮む>


1980年代初めの頃は、カルテには英語ではなくドイツ語を使う医師が多かった時代でした。
その言葉に関心が出て、1年ほどでしたがドイツ語を習いに行きました。その時のドイツ人講師が、私にとっては初めて外国人を身近に感じた機会でした。


テキストの写真や説明から感じるその国の生活を想像したり、犬養道子さんの「ラインの河辺ードイツ便り」を読んで、まだ見ぬその国への憧れや親近感が高まっていました。残念ながら、まだドイツには行ったことがなくて、片思いのままですが。


その後20代では、もっと世界の国への関心が出て実際に東南アジアやソマリアで生活をしたことで、その国や地域の名前を聞いただけで自分のことのように感じる地域が増えました。
そして、もっとその地域の歴史を知りたいと思うことが増えました、


1980年代終わり頃になると、勤務していた都内の病院でも外国人の方々の入院が珍しくなくなりました。


目の前にいる人と「国は違っても同じだな」という体験があると、ぐんとその距離感が近くなりますね。
またその地域での嫌だった体験や、違う物の見方や感じ方に戸惑う体験も、後で考えれば理解を深めるきっかけになっていました。


でもその国や地域を「好き」にも「嫌い」にもなる、何かほんのちょっとの気持ちの差が紛争への引き金になっていることも多いのではないかと残念に思います。
その人と出会ったことで、「その地域とは戦争になったりいがみ合ったりして欲しくない」と思う地域が増えました。


まあ、それも平和という理想を求めすぎるとかたくなな気持ちを生み出しやすいのですが。


人や国への距離感が縮む。
なんだかたわいのないことなのですが、案外、やっかいな「気持ちの問題」も含んでいそうです。


ということで、不定期ですが「気持ちの問題」を考えてみようと思いつきました。




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