一週間ほど前に、国立(くにたち)市の田んぼが紹介されていました。
府中崖線の豊かな湧水が流れる場所にある田んぼを初めて訪ねのは2018年で、幻想的な風景でした。その後、しだいに都内の用水路の歴史を知る中で2021年の大晦日に再訪しました。
年末年始は水の音を聞いて心を洗われようと湧水へ出かけています。
真冬でもママ下湧水からの豊な水が流れ、田畑は私有地ですが散策できるようにしてくださっていて、「お邪魔します」と心の中で感謝しながら歩いたのでした。
そして翌年2022年12月中旬に、ママ下湧水の水が流れる谷保天満宮の近くの田んぼを訪ねました。
ニュースのタイトルを見て「ああ、あの田んぼ」だとわかり、どのような歴史がありどのような方が続けていらっしゃるのだろうというかねてから知りたかったことが書かれていました。
*「コメを食べてほしい、田んぼも残したい」*
「コメを食べてほしい、田んぼも残したい」13代目が直販中心で守る東京・国立の田園風景 現着しました!
(2025年6月19日、産経新聞)
甲州街道沿いの東日本最古で関東三天神の一つ。谷保天満宮(東京都国立市)のほど近くに都内では珍しいコメを自家消費だけでなく販売する農家がある。鎌倉時代から続くとも伝わる農家で、13代目の園主は代々引き継がれてきた土地と、近くの湧水を利用し、地元の人にも愛される農作物を育てている。
▪️減農薬煮環境も配慮
閑静な住宅地の中に、4反(約4千平方メートル)ほどの水田と6反のさまざまな野菜を育てる畑が広がる。この時季は、枝豆やジャガイモ、トウモロコシ、ミニトマトなど夏野菜が中心。減農薬栽培が特徴で、稲刈り後のわらは土に返すなど環境にも配慮している。
旧甲州街道が近く、湧水が多かったことからワサビの栽培も盛んだった地域。西の耕太さん(37)は9年ほど前から1人で「西野農園」を切り盛りする。幼いころから祖父を手伝うなどして、「いずれはやると思っていた」。大学卒業後はJAに就職し、祖父が脳梗塞で倒れたことをきっかけに、都農林総合研究センター(立川市)で1年間農業を学び、平成28年から園主を継いだ。
「最初は失敗の嵐だった」。飲食店市場を想定し、新たにビーツなどヨーロッパ原産の野菜の栽培に力を入れたが、需要とのバランスが合わず断念。今では、「地元の野菜」としてマルシェで直販したり、飲食店に直接卸したりと、市場を通さない直販を中心に据えた。
コメも自ら販売する。長年繋いでいるという「もみ種」は毎年春に農園近くの谷保天満宮でおはらいを受け、国立のブランド米「天神米」として市場でも流通するが、「西野農園」のコメが都庁の食堂イベントで提供されたり、新宿の高級ホテルに指名買いしてもらったりしているという。
▪️水にこだわり
天候や病気などに気にかけなければならないことはたくさんあるが、中でも大切にしているのが水を使った作物の「健康管理」だ。一日に何度も、野菜に水を与え、田んぼの水位も確認する。夏の暑さが原因でコメに白濁が増えると食味が悪くなるため、水をかけ流して冷やすこともあるがそうした調節が欠かせないという。田んぼに使う水はほとんどが湧水と多摩川の水を利用した「府中用水」で、恵まれた自然の恩恵を最大限に受けている。
草丈が短く耐倒伏性が強いため関東地方を中心に広く栽培され、さっぱりとした口当たりが特徴のキヌヒカリをメインに育ててきたが、近年の酷暑を受けて今年からは暑さに強い「にじのきらめき」の栽培にも挑戦している。
▪️受験生にプレゼント
学問の神様・菅原道真とのつながりから、「天神米」を生産するチームでコメを出し合い、国立市内の中学3年の受験生には1人1キロを渡している。また、農園があるのは住宅街の中。「音が出るトラクターを使用する時間や、除草剤などをまく時間帯も配慮している」
一方で、周囲に人が多く住んでいることは「都市農業のメリット」だ。一般に都市農業では地域の人にいろいろと買ってもらうため、少量多品目生産を目指すが、西野農園はあえて品目を絞り中量中品目生産を行っている。
ほぼ1人で何でもやらなければならず、一時はコメの生産を辞めようかと思ったという。しかし、西野農園のコメ作りを支援する企業などによる「東京お米サロン」というプロジェクトが始動。ボランティアも5人ほど集まって支えてくれている。
「東京のこういう農地は地域にとっても大切。日本人として主食であるコメを食べてほしいし、田んぼも残していきたい」と、たくましく生き残る道を選んでいる。
昨年の不作などで米価が高騰し、令和の米騒動とも呼べる事態になっている。西野さんは「物価高騰などで経費がかさんでいることも考えて、コメだけでなく野菜であっても適正な価格を考えてほしい」と、騒動が広く農業への関心を持つきっかけになることを期待した。
府中崖線からの湧水と江戸初期に作られた府中用水によって、この谷保の地域は水田が今も残っています。
現代の地図を見ても今も蛇行したり入り組んだ道が描かれていますが、実際に歩いてみると高低差が複雑にあり、不定形の田畑が残り、住宅や工場が新たに建てられたという雰囲気です。
崖線の上の武蔵野台地と下側の農業の違いは、この半世紀ほどの急激な都市化の変化でまた逆転し、新たに対応を模索しているという感じでしょうか。
あちこちの田んぼを実際に歩いてみると、もともと平だったような場所はほんと少なくて、傾斜地を開墾し水を引き入れたり、あるいは現代で「平野」と呼んでいる場所も一世代に一干拓と気が遠くなる年月をかけて海へ向かって広げたことによる地形ですね。
そして、ようやく稲穂が実ったと思うと水に流され、再び測量を必要とするのが田んぼなのだと。
「農家がなくなれば、どこからか買ってくれば(輸入すれば)いいじゃない」「国産米を買えなければ安い輸入米を食べればいいじゃない」という雰囲気にならずに、長いこと水を制して田んぼ広げ、維持してきてくださった方々への敬意が戻るといいですけれど。
*おまけ*
このニュースの3日後、都議会議員選挙がありました。
ちょうど私は遠出の最中で、その地域のテレビでは米農家の皆さんや小売や卸の方々の切実な声が報道されていましたが、全国版のニュースでは選挙のあとからバッタリとお米のニュースが減りました。
備蓄米やらJAの「改革」やら「大型機械を導入して大規模化」やら「農業の会社化」やら、次々と投げ込まれるような政策は何だったのだろうと思うほどの静けさです。
何だかなあ。
「米のあれこれ」まとめはこちら。
「お米を投棄的に扱わないために」のまとめはこちら。
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