発達する 26 自転車をやめた

大人用の大きな自転車に乗れるようになったのが、確か小学校4年生の頃でした。

まだ足がつかないけれど乗れるようになった時の記憶があります。

それ以来、半世紀ほど自転車を活用していた生活でしたが、2年ぐらい前に廃棄しました。

 

数カ所の図書館やちょっと遠いプールへ行ったり、新生児訪問などに大活躍の自転車でした。

もう一回、新しい自転車に買い替えようかなと思っていた頃、踏切のレールに車輪がはまって立ち往生していた高齢の方を手伝おうとしたら強く拒否された経験が、気持ちを変えるきっかけになりました。

 

まだまだ自転車に乗り慣れているので大丈夫だと思っていると、いつか手放せなくなるのではないかと。

 

ちょうどあちこちを散歩をするようになり、歩き慣れてきたこともありました。

 

*身体能力や判断力が衰えてくるとどうなるか*

 

それ以前からも、高齢の方が自転車に乗っている様子が気になって、何がその特徴なのだろうと観察していたこともありました。

 

後ろから見ると、両肘が横に張ったような姿勢になるかたがほとんどです。

どうしてなのかは正確なことはわかりませんが、あちこちの筋力が衰えてきて体を支えるのに必死になるのも一つかもしれません。

 

また自転車だけでなく歩行の際にも、道路の端によって歩くことができなくなるのか、真ん中へよっている人が多い印象です。

後ろから来ている車や人の流れは見えていないようで、後ろに追い越したくても追い越せない車が連なって来ていても気にならないようです。

 

自転車への乗り降り、そして漕ぎ始めにも車体がふらついて、ドキッとさせられます。

 

*できることだけが発達ではない*

 

若い頃にはなんでもなかった動きが徐々にできなくなり、あるいは交通ルールを身につけて来たはずなのに周囲まで注意を払えなくなる。

「発達する」とは全く反対の方向へと向かうのが老いるということですが、それを自覚することや、今までできていたことをやめるタイミングもまた難しいものですね。

 

ただ、老いることも発達の一つだと思えば、引き際を決めることもまた立派な発達だと思うこの頃です。

人間の行動は、学習によらないで自然の結果として成熟していくことはまれであると言われている。老年期においても、生活していく中で学ぶことができる。したがって、生涯におけるこれらの課題をマイナスととらえるのではなく、自分の人生の完成に向けての課題とらえ、前向きに対応していけば、老年期をその人らしく納得のいくものとすることができる。 

 

 

自転車を廃棄するときには困るだろうなとしばらく葛藤していましたが、手放してみたらまた新しい生活のスタイルになりつつあって、自転車があったことさえここ最近忘れていました。

 

「自分は79歳でバリバリ働いている」「発想の転換を」という財務大臣の言葉で、自転車のことを思い出したのでした。

 

 

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