時々利用する駅のホームから、東海道新幹線が通過するのが見えます。時間帯によっては3~4分起きに通過し、反対側からの新幹線も通過します。
これくらいの頻度だと、自分の列車を待っている間に絶対に1本ぐらいは新幹線を見ることができるはずなのですが、案外と、まったく新幹線を見ない日もあります。
ぎりぎりまでその方向を眺めていて、新幹線が通ったらラッキー!、さらに2本目や上りと下りそれぞれを見ることができたら超ラッキー!
その日は何かいいことが起きそうという気分になっています。
他愛のないことで、気分は上がったり下がったりしますからね。
「新幹線を見たからいいことがあった」なんてただの偶然で、因果関係はないときっぱり言われたら、おっしゃる通りですとうなだれるしかありません。
でも、人に勧めているわけでもないので、自分だけの暗示ですからね。
*偶然があやしい話をつくりだす*
さて、12月に放送されたモヤさまでのシーンが、「ニセ科学を放送している」と批判されている話題を目にしました。
これまでも、けっこう変なマッサージとか運動療法のようなものとか占いとかがありましたが、あれはさまあ〜ず流のユーモアだと思って観ていたので、ちょっとその反応にびっくりしました。
あの番組は、もやもやしているところが魅力なんですけれどね。
今までのちょっとあやしげな話も「モヤモヤのポイント」としての話題ですし、今回もちゃんともう一人の人の足湯は何も起きないという対照群(というのか)も出しているあたりが、「えへへ、こんなことやっちゃっている人間。シュールだけど憎めないよね」という話だったのかと思いました。
広告塔になるほどのめり込んでいるのなら、大好きなさまあ〜ずのためにも全力で阻止したいところですけれどね。
そうそう、先日、湘南新宿ラインに乗るときに、武蔵小杉駅から乗ってみました。
10分ほどの待ち時間の間に、目の前を3本の新幹線が通過し、最後に上り下りの新幹線が目の前で交差して行きました。
あ〜もう、今日は人生で一番幸せな日になるかもしれないと、天にものぼる気持ちでした。
あの駅を利用している人には日常茶飯事の風景なのですけれど。
偶然から「これをしたから効果があった」「これがあったから運が変わった」と思いたくなることはたくさん身の回りにあると思いますし、とても科学的な思考や仕事と思っていた人が「そんなことを信じているのか」と驚くこともしばしばあるので、ヒトの世界がもやもやするのは「偶然」にヒントがあるかもしれないと感じ始めたのですが、どうなんでしょうね。
偶然からの偉大な発見とか発明に憧れても、現実はほとんどがあやしい話になっていく。
ニセ科学批判の難しさって、そのあたりにも何かヒントがありそうともやもや考えています。
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