目から鱗 14 武蔵野線

7月初旬の梅雨前線とともに近畿・東海の川を見る散歩から戻ったあと、都内の感染者数が7月第2週には200人台、第3週は300人台、そして8月に入ると400人台となりました。単純な感染者数の問題ではないけれど、ヒトの移動によって感染症は広がる可能性があるので、またあの緊急事態宣言の時のようにひっそりと近場を散歩することになりました。

 

でも地図を眺めていると、いくらでも歩きたい場所があります。

7月はまだ気温もそれほど高くなかったので、都内の水路や川を訪ねてみました。

 

8月に入ると猛暑日が続き、さすがに歩くのは危険なレベルだったので、まだ乗ったことがない路線を制覇してみようと思いつきました。

ところが、数年前だと路線図を眺めているとまだ乗ったことがない路線だらけだったのに、散歩を始めてからいつのまにか近郊の路線はほとんど乗ったようです。

区間を乗ったことがないのは数路線になっていました。

 

そのうちのひとつが武蔵野線です。

彩湖朝霞などの氷川神社を回った時に利用したくらいです。

葛西臨海公園駅のホームで列車を待っていると武蔵野線も通るので、いつかぐるりと環状線に乗ってみようと思っていました。

 

武蔵野線は最新式だった*

 

90年代初めの頃に多摩方面へ通勤していた時期がありました。時々、武蔵野線が運休になって、その理由が線路が浸水するかららしいという話が印象に残っていました。

武蔵野線の路線図を眺めると、なんとなく昔の工場とか軍の施設を結んだ古くからある鉄道というイメージでした。

 

改めて武蔵野線を読んで驚きました。

たしかに戦前から貨物線として計画されて一部区間はできていたようですが、現在のような旅客線の開業は1973年と、比較的新しい路線のようです。

「歴史」には以下のように書かれています。

駅務設備の近代化促進のため、開業時に全17駅中12駅に自動改札機、10駅に自動精算機、他路線と接続する4駅に定期券発行機がそれぞれ設置され、関東の鉄道では開業当初から自動改札機を全面的に導入した初の路線となった。

 記憶では新宿駅でも1980年代まで有人改札があったのですから、最新式の路線だったのですね。

 

そして「車両」には「武蔵野線は複数の長大トンネルが存在」、「沿線概況」に「全線が1970年代の開業であり、踏切はなく」という箇所に目が止まりました。

武蔵野線というと武蔵野台地の上を走っている路線のイメージでしたから、トンネルはどこに造られているのでしょう。

そして、1970年代から80年代というのは、関東近郊の私鉄が踏切をなくして鉄道の高架化と複々線化で混雑緩和や交通への影響を改善しようと用地買収を行い始め、たとえば小田急線が複々線工事を始めたのは1994年でした。

その時代に「踏切がない路線」を建設していたのですね。

もうこれは乗ってみなければと思いました。

 

不要不急の外出を避けてと再び言われていた時期なので、8月半ばにひっそりと出かけてみました。

 

 

 

目から鱗」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事のまとめはこちら