事実とは何か 75 災いだけではない

あちこちを散歩しながら、しだいに「災害の歴史」を訪ね歩いている趣になっています。

遠い昔の災害の記録や記憶が残っている場所や、9年前の大震災昨年の水害で大きな被害を受けた地域などです。

 

行く前には、訪ねていいのだろうかという躊躇があります。

災害が起きた直後の映像や情報が蘇ってきます。

生活再建に大変な思いをしていらっしゃる場所に、なんだか土足で入って行くかのような戸惑いとでもいうのでしょうか。

でも、車窓からの風景を見るだけでも行ってよかったと、行く前までの変な緊張感が抜けることもしばしばあります。

家や家族を失い、そしておひとりおひとりが築いてきた人生の大事な記憶が壊された場所に住むことは、どんな思いがあるのだろう。

先祖伝来のという感覚がないまま育った私には到底理解できない、そこを離れられない理由があるのだろうかと思っていました。

 

 

*「そこしか選択がなかった」でもなく「そこが好きだったから」*

 

録画してあったブラタモリの「伊豆大島・山頂へ〜伊豆大島は世界に誇る火山愛ランド!?〜」を観ました。

1986年から87年にかけての三原山の噴火は記憶にあります。

 

近い将来噴火するといわれていた地域に高校生まで暮らして親もそこに家を建てたのですが、私は進学とともにその地を離れたことに内心ホッとしたことを思い起こさせるのが、各地の火山のニュースです。

なんで火山のそばに住み続けるのだろう、そんな私の不安なんてとるに足りないことのように、住んでいた街は今も続き、人口も増えています。

 

番組の中で、1957年の噴火の時には溶岩から灰皿を作るために近づいて行ったことや、1986年の噴火の時は「ちょうど七五三のお祝いの最中に、どかーんときましたね」と住民の方々が話をされていました。

Wikipedia1986-87年の噴火を読むと、避難地が変更になったり1ヶ月の全島避難もあったようですが、番組で話をされている方々は火山がある伊豆大島に住むことに躊躇がなく、むしろ火山があることが好きという印象でした。

 

噴火の可能性のある地域に住んでいたのに、私は災いと感じることの方が多く、火山のある地域で生活をするということはどんなことなのか知らなかったのですね。

 

どんなに悲惨な災害の後でも、川や山や海のそばから離れないで生活を取り戻していくのには、それぞれの地域の離れがたい良さがあるのかもしれませんね。

「災害史」は正確な年表だけは片手落ちで、「生活史」の視点も必要なのかもしれません。

 

 

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