ふだんは誰がどんな失言をしたかとかどんな失敗をおかしたのかも関心ないがないので、すぐにその政治家の名前は忘れてしまいます。
また、失敗を認め、それを生かそうとしているのであれば、時間はかかっても信頼を取り戻すことは可能だと思います。
どんな世界にもそういう人はいて、そして誰もが失敗をおかす可能性はあります。でも、社会の構造には膨大な専門知識や経験、あるいは歴史の蓄積があるので、多少のことでは揺らがずに、おおむねより良い方向へと向いてきたのではないかという信頼を感じることの方が多くなりました。
もちろん理想は果てしなく広がりますが、現実には時間をかけるしかないですからね。
*政治家にヒヤリハットの機会はあるか*
ところがここ一週間ほど、失言への対応が過ちに過ちを重ねる事態に、感情とはかくも厄介なものかともやもやする毎日ですね。
失言はその人の去就につながるので、攻防戦が凄まじくなるのでしょうか。
政治家が自分が進めてきた政策が誤りだったり、失敗であることを認める機会というのはあるのかなと、次に就任した五輪相の名前を見て9年前ほど前に書いたこの記事を思い出しました。
10年前、40代の頃にこの質問主意書を提出されたようです。
もしかしたら妊娠・出産の理想を思い描き、ちょうど当時の鵺のような雰囲気にのみこまれたのかもしれません。
*自分の思考の失敗を認める機会があるか*
今回の就任後初の会見のニュースで、こう書かれていました。
女性活躍も担当することについて「このたび、残念ながら、日本の男女共同参画が道半ばと明らかになった。現状を打破し、変革する取り組みを進めていくことが重要だ」と強調しました。
さて、その方のWikipediaの「政策・主張」には「女性天皇、女系天皇、女性宮家の創設などについてはすべて『反対』」と書かれています。
このつじつまをどう合わせていくのでしょうか。
その政治家個人への批判ではなく、「女性」について何かを変えていく時には、現実との擦り合わせに気が遠くなるぐらい時間が必要ということであり、感情から揺り動かされない訓練が必要ですね。
政治家も、自分が鵺に加担したことで権力を得てきたのではないかという失敗を認め、その失敗を繰り返さないようなシステムを考えられる人が信頼を得ていく時代になってほしいですね。
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