記録のあれこれ 143 新幹線57分遅れで到着

念願だった後楽園の井田(せいでん)の模型も見ることができ、静岡の浮島沼沿いから岡山までやり残した宿題を訪ねる散歩が終わりました。

 

旭川をはさんで岡山城と後楽園のある風景は、干拓の歴史が生み出したものであることを確認する散歩になりました。

美しい石垣とお堀のそばを歩き、市電に乗って岡山駅につきました。

 

予定より早く駅に着いたので、1本早い新幹線に変更しようとみどりの窓口に行ったところ長蛇の列でした。この日は日曜日でした。

この3年ほどは休日でも閑古鳥の駅や列車の風景でしたから、今年に入って急に人出が戻った印象です。

 

予定通りの列車まで1時間半ありますが、駅構内でぼーっと人の流れを見たり、新幹線や在来線の発車標を眺めているだけでも楽しいので苦になりません。

先ほど乗ったJR宇野線茶屋町から瀬戸大橋線へと分かれるのですが、四国の高松や高知、松山へと特急や快速が頻繁にあることを知りました。

ちょっと遠く感じていた四国ですが、表示を見ていたらすぐにでも行きたくなりました。いくつか行きたい場所がありますからね。困りましたね。

 

新幹線駅構内も大混雑でしたが、列車が到着出発するたびに大きな人の波が来てはいなくなり、これだけの乗客を乗せているのですからすごいですね。

寒いけれどそろそろホームへ行って新幹線を眺めようかなと思ったところ、発車標を見上げて立ち止まる人が増えました。

「新横浜、小田原間で停電のため上り10分の遅れ」と出ていました。

それ以上のアナウンスもなかったので復旧した上での遅れぐらいに思っていたら、しだいに30分以上の遅れになり始めました。

そして「新大阪へ急ぐ方は次の列車を利用してください。その先へはいつ復旧するか見通しが立っていません」とアナウンスです。

 

あのドクターイエローを見た直後に、山手線の送電トラブルで数時間運休になったことを思い出し、もしかしたら今日中に帰宅できないかもしれないと最悪のことを考えつつ、電力設備点検で品川を13分遅れで出発した新幹線が、その後時間を巻きながら進んだダイヤの復活方法を思い出しながら、まあなるようにしかならないと腹をくくりました。

大混雑の周囲も案外と静かで、駅員さんに詰め寄るような姿もなく粛々と情報を待っていました。

 

14時58分乗車予定だったのぞみ32号は15時5分に到着しましたが、先行している列車が渋滞しているのでしばらく駅で待ち、15時12分にゆっくりと発車しました。

15時15分には全面運転開始のアナウンスがありましたが、東海道新幹線から山陽新幹線区間まで相当数の列車が遅れていますから、いつ到着するかはわからないと繰り返しアナウンスがありました。

 

新幹線は15秒以上は遅れとされる正確さであれだけの本数が運行されているのですから、この先どうやってダイヤを元に戻していくのでしょうか。

 

 

*品川駅57分遅れで到着の記録*

 

いつもだったら出発するとすぐに加速されてあっという間に風景が過ぎてしまうのですが、在来線よりも遅い進みのおかげで、吉井川左岸の坂根用水の取水堰のあたりもしっかりと見ることができました。

 

相生のあたりから再び減速して、15時27分トンネル内で停車しました。15時30分に運転再開しましたが、トンネルの中で止まるのはちょっと怖いものですね。3分が少し長く感じました。

でも転んでもタダでは起きません。普段は見ることのできない新幹線のトンネル内はどんな感じだろうと、目を凝らして眺めました。

 

のぞみ32号の次の停車駅は新神戸ですが、15時37分に姫路駅で時間調整のために停車しました。ホームには先行するのぞみ112号が先に入っていたので、私が乗っているのぞみ32号は追い越すための線路で並列に停車で、なかなかこんな経験できないですね。こうやって時間調整していくことを知りました。

 

先にいた112号が出発し、15時39分に再び走り始めました。通常よりはゆっくりな速度のようで、普段だったら見えなかった風景を記録していました。

市川右岸に二列の水路。伊保町のあたりに蓮田。西明石の手前、溜池が少し高い。棚田、野焼き。明石川から導水管?

地図と付き合わせると、また歩きたい場所が増えてしまいました。

 

西明石駅のあたりでは25分遅れのアナウンスがありましたが、15時55分に新神戸駅の手前でしばらく停車したので、30分遅れで15時57分に新神戸駅に到着しました。

ここからの長いトンネル区間は、無事に途中で止まることもなく通過しました。

 

中島川、戸の口、水門。神崎川車両基地

新大阪駅の近くで線路が大きく弧を描きながら方向を変えて中島川と神崎川が合流する上を通過する場所で、2018年ごろ遠出を始めた時にはこの川が淀川だと思ったくらい、まだ私の頭の中の地図は不正確でした。

その後淀川と淀川放水路を少し歩いた時に、大阪湾へ注ぐ川の名前を少し覚えたのですが、複雑すぎてまだまだ混乱します。

「戸の口」とメモしたのですが、地図で確認すると「戸の内」でした。水門はいつ頃造られて、どのような歴史があるのでしょう。

 

あと少しで新大阪駅というところで、徐行と停車が繰り返されるようになって、歩いた方が速そうなぐらいでした。ここから東海道新幹線区間は列車本数が格段に増えますからね。

車窓の向こうに、お寺の境内で低学年らしき小学生がボール遊びをしているのが見えました。そばにお婆さんが腰掛けて見守っています。

こんな生活の風景は、いつもだったら新幹線からはなかなか見えないですね。

 

動き出しては止まり、16時21分新大阪駅に到着しました。たくさんの乗客が乗り込んで指定席も満席になり、16時28分再び出発しました。

このゆっくりしたスピードならあの場所がしっかりと見えそうと期待した通り、新幹線が並ぶ壮観な風景をのんびりと通過しました。

そして川岸にあるその車両基地の先に、水田地帯もあるはずです。

安威川(あいがわ)というのですね。その先の鳥飼(*)八丁のあたりの水田と落ち着いた日本家屋の農家のあたりもいつか歩いてみたいと思っている場所です。

 

42分遅れで16時40分新京都駅に到着。またたくさんの人が乗り降りしてゆっくりと走り出して、琵琶湖疏水が見えました。いつもは滔々と流れているのですがほとんど水がありませんでした。

1月中旬の夕闇が早くに迫る中、琵琶湖の風景や伊吹山そして麓の美しい街が見えました。1日目に歩いた岐阜羽島のあたりでは目を凝らしましたが、訪ねた場所もほとんど見えなくなりました。

17時15分名古屋駅手前で停車、19分に再び動き出して46分遅れで17時20分に名古屋駅に到着。

17時30分頃に矢作川を超えましたがすっかり真っ暗になりました。

ここからは車窓の外は真っ暗でも、鉄橋を渡った感覚でどこを通過しているのかだいたいわかる区間です。だいぶ散歩をしましたからね。

 

18時18分門池公園のあるあたりから再び減速し、ゆっくり三島駅を通過したあと18時26分丹那トンネル内で停車しました。

18時36分に小田原駅を徐行しながら通過、18時52分に57分遅れで新横浜駅に到着、19時5分、57分遅れで品川駅に到着し今回の散歩が無事に終わりました。

ほんと、対応してくださった全てのJRの皆さんに感謝です。

 

 

 

今回は、3分から数分おきに走行している新幹線が止まった後の復旧がどんな感じで行われているのか知る機会になりました。

ところで超満員の列車はどれだけの重さがあるのでしょう。

速度の調整には重さも関係しているのかなと小学生のような素朴な質問が浮かびました。

 

このすぐあとに大寒波と大雪で、関西の鉄道は大変な状況のニュースが伝えられました。

日頃、どんなに神技のような安全で正確な運行をしていても何かがあると批判や苦情に晒されやすく、さらに失敗を活かして再発防止に努めていてもなかなかそこには日が当たりにくいですね。

 

 

*おまけ*

昨日、いつも「今日も見ることができるかな」と東海道新幹線の通過を遠くに見ることができる場所でラッキーなことに新幹線を見ることができました。

でも、なんだか変。止まっているようです。

すぐに検索したら、朝「人の立ち入り」のため運休になり復旧した直後だったようです。

どうやって復旧していったのか、以前にも増して知りたくなりました。

すごいですね。

 

 

*訂正*

(*)「鳥飼」を「馬飼」と書いていました。地図をよくよく拡大してみたら「鳥」でした。

 

 

 

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