散歩をする 317 佐賀市と大川市の県境を行き来する

出発の直前になって大きく計画を変更したので、デ・レイケ導流堤を見たあとはどうするか、初日の午後の計画は少し行き当たりばったりになりました。

 

デ・レイケ導流堤は福岡県大川市です。せっかくだから福岡県側の水田も歩いて見ようと地図を眺めましたが、筑後川を隔てて下流の右岸と左岸はなんだか世界が違う雰囲気を感じました。

ただその右岸と左岸もまっすぐに境界線が引かれているわけではなく、佐賀県と福岡県の県境は、筑後川の真ん中というところもあれば、川のどちらかに蛇行した旧河道と思われる場所が描かれていてそこが県境の場所もあり、一見、筑後川下流部が放水路なのかと思う場所もあります。

あるいは河口の大野島は北半分が福岡県で南側は佐賀県となり、最後はまた筑後川の真ん中に県境があって有明海に注いでいます。

 

大きな筑後川の右岸と左岸は多摩川のように洪水によって袂を分かった歴史があるのかと想像しましたが、なんだかそうでもなさそうにも見えます。

 

とりあえず、二つの県境をまたいで散歩をしてみようと思いました。

2ヶ月ほど都県境を越えないで過ごしたので、そのリベンジですね。

 

*花宗川と若津港*

 

デ・レイケ導流堤が見える堤防にいく手前に花宗川があり、筑後川との合流部に大きな水門があります。

最初に地図でこの川を見つけた時に、その流れを見てちょっと混乱しました。

大川公園の少し北側で、花宗川は筑後川上流部、下流部へと二つの流れに分かれています。

その上流部へと流れるもう一本の水路は、佐賀県にも地名がある「諸富」のクリークらしい場所を通り、最後は大川工業団地のそばを通って筑後川に合流しています。

 

 

デ・レイケ導流堤の近くの花宗川は下流側へと流れる水路で、そのそばには小さな水路はあるのですが、典型的なクリークでもなさそうです。

 

その理由が、現地に行って見て若津港がかつてそこにあり、発展した産業が異なることと繋がりました。

 今では地図からその名が消えた若津港ですが、この地域の歴史には大きな存在だったのかもしれません。

 

 

*良い香りのする大川市

 

その花宗川の左岸側に「水天宮通り」があり、いくつかの神社があるようです。

計画の段階で、まずデ・レイケ導流堤の見える堤防のすぐそばにある住吉神社を訪ね、そのあとこの水天宮通りを歩いて大川公園まで行こうと考えました。

 

2mを越える土手を降りると、そこに筑後川の方向を向いて住吉神社があります。御由緒を探したのですが、よくわかりませんでした。航海守護神をこの地にお呼びしたのでしょうか。

不思議だったのは、十数mほどの参道がまっすぐではなく蛇行していたことでした。

 

神社を出て、少し先に町工場がありました。黒い木の壁で、滋賀に雰囲気が似た建物です。そのあたりから良い香りがするのですが、何だかよくわかりません。

 

蛇行する住宅街の路地を歩いていると、またどこからか同じ良い香りがします。

しばらくすると広い道に出て、大きな美しい水路のそばに「木材市場」と木製の看板が出ていました。

それで、大川市といえば家具の街とだいぶ前に聞いたことのある記憶が出てきました。

そしてこの香りは木の香り、特に木の表面に少し焦げ目をつけた板の香りでした。

 

ということは、私が子どもの頃は町中、この香りがどこでもあったのかもしれませんね。似たような木壁の家が多かった時代でした。

下水道が整備されていなくて悪臭漂う水路や側溝だったり、ゴミを適当に捨てていたのであちこちからゴミの臭いが漂っていた記憶しか蘇ってこなかったのですが、そうだ、こんな木の良い香りも身の回りにあったのだと思い出しながら歩きました。

 

現在は農業用水路として利用されているようですが、花宗川のそばには小さな祠があったり、水路を眺められる小さな公園があったり、まっすぐに整備された遊歩道には川の中から背丈をはるかに越える葦が育っていて、美しく落ち着いた街でした。

 

もっともっと歩きたいと思ったのですが、午前中、炎天下でクリークを歩いただけでも1万3000歩を超えたので無理はしないほうが良さそうです。水天宮通りはあきらめて佐賀駅行きのバスに乗り、県境を越えて佐賀市に戻りました。

ホテルでニュースを見ていたら、この日の佐賀は33℃まで上がったそうです。

 

当初の計画はだいぶ諦めた1日目でしたが、筑後川の両岸を見ることができて満足しました。

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

新型コロナウイルスに関する記事のまとめはこちら