初めて投票したのは何の選挙だったのか、誰にどのような思いを込めて投票したのか、その後いつどの選挙に投票し、反対に選挙に行かなかったのか。
その記録をつけておくべきだったと、もう人生の取り返しがつかないと感じるほど残念さを感じています。選挙公報も全て保管していたらよかったのですけれど。
4月23日の地方統一選挙は、これまでの選挙の中で一番真剣に候補者について調べました。
前回は誰に投票したのかさえ忘れるほど区議会議員さんの存在は薄かったのですが、それがこんな政治の雰囲気を生み出すことになったと責任を感じました。
今までは選挙公報が届くとざっと眺めて公約を読み、まずは「変な候補者」を除外し、それなりに実績がありそうな人ぐらいで決めていました。
あるいは誰が推薦しているかというのも多少影響を受けました。
その時々で所属する政党も違いました。
*未曾有の感染症の真っ只中の選挙なのに*
今までの区内の新型コロナの感染状況と区民の生活への影響、問題点など全体を把握した上で、長期的な視点で次に何をするのかが争点の一つになるだろうと予想していました。
ところが「新型コロナ」について公報に書かれていたのは自民党の候補者の方おひとりだけで、それも商店の経済活性化という視点でした。私の求めていることとは違いました。
あの第8波の真っ只中でなぜこのタイミングでという政策へ変わり、社会の雰囲気も変わってしまいました。まだまだ終息まで慎重に生活する必要があるし、健康もそして経済的にも長い見通しの中でより被害の少ない生活を考えていたのに、なんだかハシゴを外された気分でした。
もしかして、次に未曾有の状況が起きても問題点をあげて次に活かしていくという政治ではなく、喉元過ぎればあったこともなかったことになりそうな社会の雰囲気ですね。
*今回選んだ方の理由*
数十人の候補者の方の公約を読むだけでも大変でしたが、その中で「イデオロギーやイベント的でないこと」という言葉が目に入りました。
ほんとそう、イメージやパフォーマンスでかまびすしく盛り立て、それぞれの地道な専門性で支えられている社会を軽視して「自分の考えた最強の政策(信念)」を押し通すことは政治ではなく運動ですし、今の政治には失敗を認めるシステムもないですからね。
その方のホームページを読みました。
「拡声器や選挙カーを使わない」
「給与所得者が政治に参加するハードルを下げ、仕事と区議会活動を両立」
「国政上の論点やイデオロギーを必要以上に区政に持ち込まず、区民皆さんの利益の最大化を図る」
「議案への賛否とその理由をホームページであらかじめ表明し、それに対して区民の皆さんのご意見を拝聴します」
「政務活動費の明細・領収書をHPで自主的に開示します」
そして誰々の推薦というのもありませんでした。
残念ながら僅差で当選は叶いませんでしたが、これこそ民主主義の次の形になっていくだろうなと明るい希望が見えたのでした。
ちなみにQ&Aも考え方が整理されていて参考になりましたが、その中のこの一文も決め手になりました。
統一教会に対する解散命令についてどのように考えますか?
区政の問題ではなく国政で法律に則って取り扱うべき論点だと思います。他方で個人的には、宗教法人の趣旨に悖(もと)る宗教団体は解散すべきで、民事上、刑事上の責任も取るべきと考えています。
すっきりとつじつまがあう考え方の訓練がされたこういう方が政治の場にふさわしいですし、これからはこういう方々がさらっと政治に参加して、政治のしがらみで身を滅ぼすことなくさらっと退場していく時代になるといいですね。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。
あの日(2022年7月8日)から考えたことについてはこちら。