鵺(ぬえ)のような 25 「胆力」と賛美する正体

詭弁に詭弁を重ねることがこの国の政治の手法になってしまったので、なぜ支持率が下がったのかわからないのか、それとも滑っと煙に巻きながら本当は次のさまざまな思惑が渦巻いているのでしょうか。

 

最近「胆力のある」と称賛されている大臣の名前を耳にするようになり、そのWikiを読みに行きました。

ああ、あのオウム真理教の死刑囚の死刑が執行された時の法務大臣だったのですね。

 

1995年、私自身あの地下鉄サリン事件に遭遇しそうだった時から全容が明らかになり教団が解体されるまでの社会の不穏な雰囲気を思い出すとともに、本当に死刑でよかったのか悶々としていたのが、昨年私の葛藤はこれだったことが少しずつ見てきました。

 

 

法務大臣とはどのような人たちだったのか*

 

 

今までどんな方々が法務大臣だったのだろうとWikipediaの法務大臣を読んだのですが、冒頭の「概説」で驚きました。

戦後、法務大臣経験者で内閣総理大臣に就任した人物は皆無である。

 

歴代総理大臣法務大臣をしたことがないのは偶然か、それとも避ける理由や避け方があったのでしょうか。

 

それなのに、今回は「女性初の総理大臣の可能性」とか「胆力」とか書かれることはあっても、「初めての法務大臣経験者で内閣総理大臣に就任する可能性」とは書かれませんね。

その方は3回も法務大臣をしているようです。

 

今までどんな人が法務大臣になりそれぞれ死刑とどのように向き合ってきたのだろうと、がぜん興味が出てきました。

 

1952年に「法務大臣」となってから既に現在で108代のようです。私が生まれた頃からの法務大臣についてWikipediaを読んでみました。いやあ、これだけの方々のWikipeiaを読むと、いろいろな人物の繋がりが複雑、濃厚すぎて訳がわからなくなりそうですね。それとともに、「死刑」の切り口から逆にそういうつながりだったのかと見えてくることもありました。

 

そして死刑制度はそれぞれの当事者にとって正解はないにしても、法律の専門家と国民の議論の積み重ねではなく、政治家の気持ちで決められてしまっていた時代が見えてきました。

 

 

*1960年代からの法務大臣

 

ちょっと長いのですが1960年代から歴代の法務大臣の覚書です。あくまでもWikiから抜き出した私の覚書。(敬称略)

 

中垣國男 死刑執行に積極的で在任中に33名に署名した。

鹿屋興宣 死刑執行に否定的、法務大臣だった1964年は日本の近世以降初めて死刑が実施されない年となった。

田中伊三次 数珠を片手に執行の署名をするところを記事にするように言った。26名の実行に署名。平沢に関しては「冤罪」として署名しなかった。死刑執行を見に行こうとして叱責された。

赤間文三 在任中は死刑執行の決済を求められると「勘弁してくれ。今後俺にお迎えがきたらどうする」などと理由をつけて命令に署名せず。死刑の執行が一件もなかった。

西郷吉之助 かつてGHQ占領下で起訴された死刑囚の再審を規定した再審特例法案が提出されて廃案になった際に、6件7人の死刑囚に対して恩赦の検討を表明し、結果3人が無期懲役への減刑がなされた。

小林武治 西口彰の死刑を執行した他、現行刑法下では初の女性死刑囚の死刑を執行。問題発言で引責辞任

秋田大助 小林武治の後任として一週間ほど法務大臣を兼任。

前尾繁三郎 豪快なエピソードはたくさん書かれているが、法務大臣として何をしたか記述なし。

郡祐一 半年間法務大臣。詳細はほとんどなし。

浜野清吾 1974年11月11日から12月9までの任期。

稲葉修 日本クアラルンプール事件、獄中同志の釈放に応じる。ロッキード事件田中角栄逮捕を許可。大久保清の死刑執行。その前後の法務大臣として死刑の執行数が増加した。1972年以降で、2年連続で2桁執行を行った法務大臣は稲葉修だけである。法学博士。

福田一 ダッカ日航機ハイジャック事件犯人釈放に断固反対したが、福田赳夫首相の方針に逆らえず犯人の要求に屈する形で赤軍メンバーを釈放、引責辞任。(消費税法案に反対、「選挙区民に消費税導入はしていないと説明していたのに示しがつかない。有権者を裏切ることはできない」「政治は世襲ではない」など)

瀬戸山三男 犯罪者の更生問題に造詣が深い。全国保護者連盟会長、日本更生保護教会会長など歴任。死刑に関する記述なし。

古井喜実 弁護士。死刑について記述なし。(医師会の反対を押し切ってのカナマイシンの保険採用。自民党内の反対を抑えての、小児麻痺予防のためのソ連からのワクチン緊急輸入)。

1981年には「今や、民主主義のよって立つ選挙は、体力にあらずんば金力の戦いとなり、政治は、富の神の支配する領域と化した感があります」と述べ、率直な金権政治批判。

倉石忠雄 死刑について記述なし。ゴルフ場の転売や別荘の植林に国費を流用。漁業の安全問題について「軍艦や大砲が必要」などの発言。

 

Wikipeddiaの「法務大臣」では次の1980年代から「歴代法務大臣の死刑執行命令数」が書かれています。

奥野誠亮 死刑については記述ないが執行数1。90歳まで在任。勝共連合の支援。「あの当時日本に侵略行為は無かった」発言で国土庁長官辞任。102歳「いつまで経っても戦後は終わらない。そろそろ自前の憲法を作ろう」

坂田道太 1981年死刑執行命令。「議長経験者が首相になるのはよくない」と固辞。

秦野章 父親の会社倒産。農林官僚の羽振りの良さを見て「自分も官僚になりたい」。経済問題などキャリア官僚から刑事課課長、警視総監に上り詰める。

住栄作 死刑執行1。それ以外死刑に関する記述なし。1984自民党本部放火襲撃事件の際に、浜田に殴打される。

島崎均 死刑の記述ないが執行2。登記特別会計創設や登記事務コンピューター化に尽力。

鈴木省吾 死刑執行2。活動の詳細ほとんど記録なし。

遠藤要 法務大臣就任中の1987年、帝銀事件の死刑囚平沢貞通が獄中で病死。遠藤は結果的に、平沢への死刑執行権限を行使しなかった最後の法務大臣となり、確定死刑囚としての平沢の収監期間は世界最長記録となった。

林田悠紀夫 死刑執行2。それ以外詳細の記述なし。

長谷川峻 法務大臣就任後、リクルートからの政治献金が発覚し任命からわずか3日で辞任。戦後政治史では最短在任歴代1位となった。

高辻正巳 死刑執行0。法律に詳しくリクルートとは無縁なところが評価され、後任に就任。

谷川和穂 1989年宇野内閣で法務大臣に任命され2度目の入閣だったが、宇野元首相の女性スキャンダルで退任。

後藤正夫 1989年第一次海部内閣。死刑執行1。1991年国際連合平和維持活動に関する法律の審議の委員長に就任、心労を理由に委員長を辞任。

長谷川信 第二次海部内閣で入閣。法務大臣として天皇に内奏したのち皇居内で倒れ辞任。

梶山静六 法務大臣1990年9月13日-1990年12月29日。死刑執行0。

佐藤恵 法相在任中には、死刑執行命令書に署名をしなかったことで取り沙汰された。本人が真宗大谷派の住職でもあったことから、宗教的信条から署名をしないとする報道もあったが、後の本人の述懐によると、宗教的信条よりもむしろ京都帝大時代に指示した法学者佐伯千仭の教えによるものだとされる。法相が死刑執行命令書に署名をしないことについては賛否両論あったが、佐藤の場合は本人の宗教的信条が関係していた点も議論となった。

田原隆 1989年11月から、日本では死刑の執行が行われていない状態が続いていた。田原は法相就任後の記者会見で「国民の多数が死刑を支持している」と述べ、自身が死刑執行命令を発令することは有り得るという見解を表明。しかし、田原の在任中も死刑執行はなく、田原は「退任の日まで死刑執行命令書が一度も上がってこなかった」と説明した。結局、後任の後藤田正晴が執行を復活させる。

後藤田正晴 首班は固辞。すでに高齢であることから後藤田にとって「負担が軽いポストを希望した」。法務の知識があると法務大臣をあてがわれた。法相在任中は1989年11月の死刑執行から死刑執行停止状態(モラトリアム)が続いていたことについて「法治国家として望ましくない」との趣旨を発言し、1993年3月に3年4ヶ月ぶりに3人の死刑確定者に対する執行命令を発令した。死刑廃止論者の著書については「考え方は反対ではない」とする。

三ヶ日章 弁護士。細川内閣。就任当初から「死刑廃止論者は法相を引き受けるべきではない」と発言するなど、「あくまでも現行の法制度に従い、裁判所の判断を尊重し公務員として死刑執行の職責を果たすべきである」との立場を表明した。在任期間中に計4名の死刑執行を命じた。

永野茂門 慰安婦問題の発言で辞任、わずか11日。在任期間が短かったため死刑執行起案書はまわってこなかった。

中井治 在任期間1994年5月8日-6月30日。死刑に関する記述はない。騒動・批判が多い。

前田勲男 法相在任中に地下鉄サリン事件発生。13ヶ月の在任中、5人の死刑執行を命令。

田沢智治 初入閣。立正佼成会からの借入問題で2ヶ月で辞任。死刑執行起案書はまわってこなかった。

宮澤弘 宮澤喜一の弟、3人の死刑を執行、1998年に引退。

長尾立子 女性初の法務大臣、3人の死刑を執行。1997年参院繰り上げ当選、翌年引退。児童家庭局、厚生省社会局長など。全国社会福祉協議会中央共同募金会などの会長。

松浦功 10ヶ月の法務大臣在任中、永山則夫や7人の死刑執行。少年死刑囚の執行。引退。

下稲葉耕吉 10ヶ月の在任中に3人の死刑執行。ウルトラマンが好きで「正義を行えば単純に賞賛されるのはいいなあ」とよく語っていた、

中村正三郎 1998年小渕内閣法務大臣。7ヶ月の在任中3人の死刑を命令。その際「本日、死刑確定者に対し死刑を執行した」という形で死刑執行の部分公開を行い、以降死刑執行の部分公表が慣例化。執行対象処刑日時公表。「極悪人を復権させる必要などない」などの発言や問題行動が多く、不祥事問題で辞任。

陣内孝雄 3人の死刑執行命令。不祥事、年金未納問題。土木工学科。

臼井日出男 第67・68代法務大臣、2人死刑執行しているが詳細なし。「障害を持つ兄がいる影響で福祉と教育に力を注いでいる。

保岡興治 弁護士。3人の死刑執行、安岡が命じた死刑執行は日本における20世紀最後の執行。2008年に8年ぶりに法相に再任、3人の死刑執行。秘書に統一教会メンバー。

高村正彦 弁護士。命令書にハンコを押すかと問われて「日本は法治国家です。裁判所が決めたことを精査し、間違いがなければ判を押すのは当然でしょう。特別の信念があって押したくない人がいても良いが、そういう人は法相を受けるべきではない」と明言したが、在任中一度も死刑事案は上がってこなかった。弁護士時代、統一教会の訴訟代理人勝共推進議員。

森山真弓 女性初の官房長官。約2年2ヶ月の法務大臣在任中に5人の死刑執行命令書に署名。2009年引退。大相撲女人禁制への問題提起など。

野沢太三 工学部土木科卒、国鉄鉄道管理局長。退任間際2人の死刑執行。特に大阪池田小事件の犯人に対し、刑の確定からわずか1年余りでの執行を命じたことがさまざまな議論を呼んだ。小泉首相から日本を世界一安全な国に戻してほしいという趣旨で治安回復の特命を受け、「顔の形、指紋など個人特有のデータを読み込んだ形でパスポートその他を作っていくのが効果があるのではないか」と発言。裁判員制度可決。日韓トンネル研究会会長

南野知惠子 看護師・助産師。日赤看護大学教授。就任中に2005年、1名の死刑執行。

杉浦正健 弁護士。真宗大谷派門徒であることから2005年就任時に「死刑執行のサインをしない」と発言し、1時間後に撤回。2006年9月にも法務省側から提示された死刑執行命令書への署名を拒み、小泉純一郎自民党総裁任期満了に伴う内閣辞職まで死刑は執行されなかった。「死刑反対論者ではないが、信条に従った」「国際社会で、大きな流れでは廃止の方向に向かっている。終身刑の導入をはじめ、セットにならないといけない」と述べている。「代用監獄問題」「児童買春、児童ポルノに関わる行為等」の問題に関わるが、自身は選挙違反に問われる。

長野甚遠 法学士。366日の在任期間中に死刑囚10人の執行を指示し、当時最多の死刑執行となった。

鳩山邦夫 2007年安倍改造内閣で法相就任もまもなく安倍首相は辞任。就任中13人の死刑執行を命令したが、これは法務省が死刑執行を公表するようになった1998年11月以降に就任した法相としては上川陽子(通算計16人)についで2番目に多い。

過去の例からはそれまで死刑執行の間隔が長く、国会閉会中や内閣改造直前に行われる傾向があったため、8月9月12月が執行が多い月として一般的に認知されていたが、鳩山は国会開会中である2008年2月4月6月と2ヶ月間隔で命令されたことが注目された。

それまで行政密行主義と批判されていた日本の死刑で、2007年に死刑囚の名前など情報公開をした。

森英介 2008年、飯塚事件など9人の死刑執行。死刑についての詳細は記載なし。

世襲議員で2008年頃に自民党内で議論されていた世襲政治家の立候補制限について、「世襲に生まれただけで排除されるのは不合理である」として強く反対。

千葉景子 鳩山内閣。女性の法曹資格者の法務大臣就任は初。「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属する議員が法相に就任したことで、法と持論の間で死刑制度をどう考えていくか注目されていたが同議員連盟を外れる意向を示した。2010年に2人の死刑執行命令。民主党政権としては初めての執行命令。その際、死刑執行に立ち会ったことを記者会見で明らかにする。なお、執行命令書に署名を行った時点では落選は確定していたが、まだ参院議員の任期中であった。

柳田稔 「法務大臣とはよいですね。二つ覚えときゃ良いんですから」と国会軽視の発言で陳謝、辞任。最初から死刑執行に前向きであったが、執行起案書を受け取ることなく退任。

退任後は仙谷由人が兼任、弁護士、死刑に関する詳細の記載なし。

江田五月 弁護士。「死刑というのはいろんな欠陥を抱えた刑罰だ。国民世論や世界の大きな流れも考え、政治家として判断すべきものだ」在任中、一度も死刑執行の署名はしなかった。

平岡秀夫 弁護士。野田改造改革発足よりわずか4ヶ月で退任。死刑の執行には慎重な立場であり、法務大臣就任後も一貫して慎重な態度を取り続けた。在任中に死刑執行命令書への署名を行わなかった。刑事事件の捜査について「取り調べの可視化」推進を主張。

小川敏夫 野田第1次内閣で法相。5ヶ月で離任。前任の平岡秀夫をはじめ江田五月仙谷由人民主党出身の法相がいずれも慎重な姿勢を示した死刑執行に対し、「法律で定められた法相の職責なので、大変つらい職務だが、その職責をしっかりと果たしていきたい」と述べ、死刑の執行にも前向きな発言を行い、2010年、千葉景子法務大臣が設置した死刑制度の省内勉強会も「すでに議論は出尽くしたとして一方的に打ち切った。2012年3月、3名の死刑を執行。

滝実 国会会期中に2人の死刑執行。その後高齢を理由に辞任したが後任の田中慶秋が不祥事並びに健康上の理由で3週間で辞任したため、再び任命。衆議院解散により失職。

谷垣禎一 弁護士。2012年安倍内閣で就任。2013年に8人、2014年に3人、「法務大臣就任中に合計11人の死刑囚の執行を命令」。「これは歴代法務大臣の中では上川陽子鳩山邦夫に次ぐ執行回数である」。「河野洋平以来2人目の内閣総理大臣に就任しなかった自民党総裁。任期中通して野党党首であった唯一の総裁」。

死刑制度については「著しく凶悪な重大犯罪に対しては死刑を科することもやむを得ない」と述べ、制度存続に賛成している。

松島みどり 2014年。死刑制度について「日本の法律に規定されており、執行の署名をすることも覚悟してこの職を引き受けた。議論は必要かもしれないが、国民の考えに基づいた制度として必要だと考えている」と述べ、肯定的な見解を示した上で、死刑制度の存続を含む見直しに関しては、日本国民の死刑制度への高い支持を理由に否定的な見解を示した。在任中の死刑執行は0。

「性犯罪に対する厳罰化を検討する意向」「外国人受刑者の信仰宗教によって食事内容を配慮していることに対して疑問」。

上川陽子 3度目の法務大臣Wikiには死刑執行の記録はあるが、本人の考えなど詳細はなし。

岩城光英 2015年12月、裁判員裁判で死刑が確定した死刑囚を含む2人の死刑を執行。裁判員裁判による死刑判決が確定した死刑囚は7人いるが、死刑が執行されたのは初。2016年2人の執行。その後落選し、引退。

金田勝年 2016年の日本弁護士連合会が死刑制度の廃止や死刑にかわる終身刑の導入を目指す宣言を採択した際は、同日の記者会見で死刑制度の廃止に否定的な考えを表明。在任中3名の死刑執行。2016年の死刑執行後の記者会見で「国民の多数が死刑をやむおえないと考えており、廃止は適当ではない」と述べ、あらためて死刑廃止に否定的な見解を示した。

下司 弁護士。2018年当選3回で初入閣し法相。死刑に関する記述はないが4人の刑を執行。「検察キャリアの中で悪と戦う正義感に動かされていた山下は、良き事をよりよくして故郷の役に立ちたい」という思い。法相の頃に「社会を明るくする運動」中央推進委員会委員長。

河井克行 2019年9月11日に法務大臣就任も公職選挙法違反疑いのため10月21日辞任。2020年6月に法務大臣経験者として戦後初の逮捕。現在も服務中。

森まさこ 弁護士。野党時代のシャドウキャビネット法務副大臣。2019年、前任者の辞職に伴い法務大臣。同年、中国人死刑囚に対する死刑執行。

2016年に安倍晋三が「稲田朋美とともにきわめて有力な総理候補者」と発言。旧統一協会の団体と関係。

古川禎久 2021年3人の死刑執行命令。2022年秋葉原通り魔事件の死刑囚の死刑執行命令。

葉梨康弘 1999年警察庁警視正で退職、義父は元国家公安委員長から衆議院議員。義父の秘書を経て衆議院議委員となる。2022年8月10日法務大臣就任、11月に「法務大臣は死刑のはんこを押す地味な役職」「統一教会に抱きつかれてテレビに顔が出た」「法相になっても金にも票にも縁がない」などの発言で事実上の更迭。「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」所属。

斉藤健 2022年11月、前任者の事実上の更迭により就任。306日間の就任中に死刑の執行0。難民審査について「1年半に1人で500件対面審査が可能」をその夜に「不可能」と訂正。

小泉龍司 現法務大臣。死刑に関する記述なし。

 

 

60年ほどの法務大臣Wikiを読むだけでも、いろいろな記憶がつながって自分の生きてきた時代の年表が少し正確になりました。

こうして見返していると、私が生きてきた60年ほどは死刑執行の命令を出すか出さないかは政治家にとっては踏み絵のようでもあり、イデオロギーや利害の中に普遍性を求める姿勢が埋もれていく印象を感じました。正解のない難しい判断ですけれど。

 

 

1990年代図書館で本をたくさん借りて読んでいた頃に、各国の死刑に関するものや刑務官による本もありました。

日本の中で死刑に対する疑問が広がり廃止を求める声や死刑執行についての情報公開を求める声が出始めたことで、数々の本が出版された時代だったと思い返しています。

 

法相の中にも自分の信条との葛藤を表現する時代に入ったのかもしれません。

ところが「国民が求めている」「それが職責」という理由で、また揺り戻しが出てくる。

あるいは自身が法を守らずに辞任したり、責任を問われていることも多々ありますね。

「日本の絞首刑という残酷な方法」「死刑制度が残っているのは先進国でも少ない」と死刑制度に疑問を持ち始めた流れがあったのですけれど、死刑制度については世界から遅れているとはなかなかならなず、「国民の声」に責任を負わせているかのようですね。

 

死刑制度に対する態度もまさに「鵺のような全体主義」。皆で顔を隠す。主体を消し去るの意味が見えてきました。

 

 

*「胆力」と賛美する正体*

 

さて、処刑数が公表されている1980年以来、2017年は最多の15人でした。

その翌年にはローマ・カトリック教会が「死刑はいかなる状況においても容認できない」と明記しましたが、当時の法相は自身の信仰との葛藤はどうだったのでしょう。

 

死刑執行命令を下したことを「胆力(たんりょく)」と表現する人はたちは、どういう人たちでしょうか。持ち上げたいのか、はたまた下げたいのか。

法務大臣は総理大臣になりたい人には鬼門のようなものなのでしょうか。いろいろと思惑のがんじがらめな世界が広がっているように見えてきました。

 

これから1960年までの歴代法相のWikiもぼちぼち読んで、近代を振り返ってみようと思います。

 

 

 

 

 

「鵺(ぬえ)のような」まとめはこちら