水の神様を訪ねる 97 桃が池公園の股ヶ池明神

大和川左岸にはたくさんの周濠やため池が散りばめられたような場所があり、どうやったらここを歩き尽くせるだろうと時々妄想の散歩をしていました。

 

初日は百舌鳥古墳群だけでなく久米田池の隣の和泉府中のあたりまでのため池も歩く予定でしたが、実際に歩くと広大すぎて古墳群でさえ歩ききれずに計画を断念したのでした。

 

散歩の2日目は、近鉄南大阪線道明寺駅から古市駅辺りにあるため池や周濠を歩く計画です。

大阪や奈良の鉄道網は一見東京と同じような複雑さですが、似たような鉄道会社名の路線が並走していたり、碁盤の目のような路線図でまだ慣れないことと、微妙に乗り換え駅が離れているので乗り継ぎが少し大変そうです。

 

初日に宿泊したJR阪和線和泉府中駅から東側の近鉄南大阪線の駅に行くには、いったん天王寺駅まで行ってから近鉄に乗り換えて戻るしかないのかなと地図を眺めていたところ、JR阪和線南田辺駅のそばに池があるのが目に入りました。その北東1kmほどのところに近鉄南大阪線北田辺駅があります。ここを歩いて乗り継ぐことにしようと決まりました。

その名も「田辺」ですから、水田に関係したため池でしょうか。

 

9時前にJR和泉府中駅から阪和線に乗りました。前日に歩いた百舌鳥古墳群はやはり台地だったとわかるような切り通しを抜けてしばらくすると大和川を越えました。荒川江戸川を思い出すような「放水路」の風情です。

 

 

*桃が池公園の股ヶ池明神*

 

南田辺駅の手前から線路沿いにその名も「長池公園」という長細いため池と遊歩道が見えて南田辺駅に到着。

 

桃が池の西側には池のすぐそばまで住宅地で、その細い路地を歩くと股ヶ池明神の古い鳥居が見えてきました。

池に飛び出たような場所が周囲より少し高くなっていて、森のような木々に囲まれてお社があり池が目の前に広がっています。

 

「江戸時代の石仏発見」とお手製の説明板があり、その隣に「股ヶ池明神の台風被害につきまして」というお知らせが貼ってありました。

 大風の被害に遭われた方々に謹んでお見舞い申しあげます。

平成三十年九月四日に台風二十一号が四国、関西を横断する形で非常に大きな勢力のまま横断し各地で大きな被害をもたらしました。

 股ヶ池明神においても玉垣の倒壊や、社殿の屋根が破損する被害がありました。近隣住民と話し合った結果、付近を通行される方の安全性を考慮し、誠に残念ではございますが玉垣を撤去することに致しました、本来であれば、ご寄進いただきました方々には直接ご説明に伺うべきところですが、事情をご理解いただき、ご容赦いただきますようにお願い申し上げます。

 

2018年7月は50年に一度と言われる倉敷での水害が起こり、そして9月にはこの大阪湾で台風と高潮が重なり大きな被害が起こりました。この2018年の西日本豪雨がきっかけで大雨警報レベルが見直された年でもありました。

そして猛暑も災害という認識が定着した年でしたね。

 

この少し小高い場所には、数年前まではぐるりと周囲を囲む玉垣があったようです。

囲うものがないちょっとおぼつかないような高台の端に石碑があり、「灌漑」「旱魃」といった文字が彫られています。どうやら「森岡家の林右衛門」さんがこの池の改修をした記念に1925年(大正14)に建立されたようです。

「開田」という文字も見えます。一世紀前、この辺りには水田が広がっていたのでしょうか。

 

 

「股ヶ池明神略記」は文字がかすれて読めない部分もあるのですが、もとから池があってそこに住む怪物によって怪異が起こっていたため祈祷したという内容が書かれていました、

 

池には鴨がのんびりと泳ぎ、ここにもまたカモメの姿がありました。

周囲は高架橋が交差しマンションや住宅の立ち並ぶ平地に、突如として南北に数百メートルはある広い池がある風景です。

どうやって湧き出た池で、それをどのように灌漑として利用していたのでしょうか。

 

かつての用水路や田んぼの痕跡はわからなかったのですが、地図から見つけた池と神社は2日目の散歩のスタートにふさわしい場所でした。

 

 

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