3月下旬、お昼頃なのに気温は12度で霧雨も降って寒く感じる中、帷子川沿いの水道道を歩くために出かけました。
小田急線鶴間駅で下車し、相鉄本線鶴ヶ峰駅行きのバスに乗ると、乗車時に行き先を告げてからICカードをタッチするシステムでした。いろいろな方法がありますね。地域の公共交通を担う方々にも負担が少なく、乗客も支払いやすい方法はまだまだ模索が続きますね。
発車してじきに段丘沿いになりましたが都県境の境川で、200mほどのところは町田市のようです。
iPhoneのマップの境川をクリックしたら、なんだかわからないけれど「引地川」と表示されてしかも「山梨県」と表示されました。結局、デジタルといっても人の手で入力して確認することが多いので万能ではなさそうですね。
川べりに神社が見え、公園や果樹園、墓地や蔵のある家など風景が次々と変化しながら川を越えると、今度は台地の上の風景になり工場や東京都の卸センター、そして東名高速道路が見えました。この辺りはどのような生活や歴史の変化があった地域なのでしょう。
切り通しを抜けるとまた下り坂になり、高いところを緑色の細い橋が通っているのが見えて、15時ちょうどに大貫橋バス停につきました。
ここからは帷子川(かたびらがわ)沿いに国道16号線を歩きます。
おそらく地面を削りながら流れているのでしょう、川の気配はあるのですが水面は見えず小さな渓谷のようです。
緩やかな下り坂で、左手は山と森が続くのですが、地図から想像していた「山中」でもなく川沿いに平地が続き、けっこう住宅がありました。
立派な神社があったので、立ち寄ってみました。
上川井神明社の由緒
当、上川井神明社(旭区上川井町一一二番地)の創建は不詳であるが、今からおよそ七〜八百年前の中古の時代から江戸時代に至るまで、旧誌小机川井郷の総社として鎮護し、地域の総鎮守であったと思われる。その後、明治六年十二月に上川井村の村社に列せられ、地域の守護神として氏子の尊崇する神明社として今日に至っている。
祭神は國常立尊(くにのとこたちのみこと)で、この神は、国土形成の根源神、国土の守護神といわれ、宇宙が誕生し、国土がまだ混沌としてどろどろの状態のときに登場し、泥土を集められ、生命力が宿る大地を形成した神とされている。
「国土がまだ混沌としてどろどろの状態のとき」、創世記を思い起こす表現です。
*水道道へ*
神社の前の交差点から帷子川沿いに入り、水道道ぞいに歩き始めました。
車一台分ぐらいの道がところどころ蛇行しています。
この辺りの帷子川は、深いところを流れながらも北へそしてまた南へと複雑に蛇行しながら流れていました。
水道道はいったん国道16号線沿いの歩道になり、そこに「水道道『トロッコ』の歴史」の説明板がありました。
この水道みちは、津久井郡三井村(現:相模原市緑区三井)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで44kmを、1887年(明治20年)わが国最初の近代水道として創設されました。
運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩をともに歩んだ道です。
「横浜が始まり〜近代水道創設120周年」横浜市水道局
古い写真が添えられていて、「高座郡大野村(大和市下鶴間)付近」のトロッコのレールのようです。
しばらく水道道が「旭区グリーンロード 帷子川ルート」と言う遊歩道として利用されていて、その表示の中に「大貫谷戸水路橋」とありました。バスの車窓から見えた緑の橋のようなものは、谷戸の上を渡す水路橋だったようです。
地図では「何もなさそう」な場所でも、歩くとたくさんの発見がありますね。
しばらく歩くと、歩道に古いレールが保存されていました。
それまで激しく蛇行していた帷子川がまっすぐの放水路の趣になるあたりで、水道道は国道16号線を斜めに渡ったところへと少し低い位置で続いています。
地図でも地味に蛇行しながら描かれていますが、まっすぐではなく何かを避けながら造られたのでしょうか。
団地が見えてきたので、また帷子川に近づいたことがわかりました。まるでコンクリートの防水堤のように建てられていますからね。
地図で見ると旧河道ものこっているようですが、竹藪が残る帷子川遊歩道になっていました。
右岸側は見上げるような崖で、お寺が建っています。
今年は2月から3月にかけて寒かったので木蓮も桜も1ヶ月遅れで、もう春は来ないのではないかと思ってしまうほどでした。
それでもレンギョウやハナニラが咲き、ようやく春が始まったのどかな水道道ぞいを歩いていると、爆音を轟かせた珍走団の方々が通り過ぎていました。
道ひとつ、植物ひとつとってもすごい世界の上で生きているのですけれど、若い頃は退屈すぎて男性も女性もエネルギーをどこに向けたらいいかわからないものですからね。
その先でまた帷子川から水道道は離れて台地のような場所を通り、また下ると鶴ヶ峰駅前に到着しました。
水道道はこのあとどこへ続くのだろうと地図で確認すると、南東へと真っ直ぐ続いているのですが、現地に立って見るとそれは東海道新幹線が通る高台へ向かっていました。
水道道はまたぐいっと上ってまた下り、そしてもう一度上ってあの小高い場所にある横浜水道記念館と西谷浄水場へとつながっているようです。
こうしたアップダウンをどうやって滞りなく送水できるのでしょう。
小学生のような疑問を抱えたまま、今回は時間切れで帰宅したのでした。
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