散歩をする 527 吉井川下流の干拓地を歩く計画

ここ数年、あちこちの干拓地を歩くようになって計画を立てるコツがだいぶつかめてきました。

 

地図をながめているとついつい気が大きくなってどこまでも歩けそうな気がするので、ほどほどの距離にしておくことと、ほとんど公共交通機関がない場所なのでバスがあればその時間を確実に把握しておくことです。

そして状況によって計画を変更できるように、3つぐらい代案を作っておくことでしょうか。

 

吉井川を渡って右岸側の倉吉川吉井水門を訪ねることができたら、その水路の先へと歩いてみたいという計画もありました。

水路は南西へと流れを変えて3kmほどのところで山と山の間を南へと流れ、そしてその隘路には何本もの水路や川が交差し、合流して砂川になり、最後は百聞川になって岡山市東区の大干拓地を潤しているようです。

「山と山の間」それはかつては遠浅の海の島と島にはさまれた瀬戸だったのでしょう。

地図で見るたびに心踊る場所ですが、ここを歩いたらきっと今回の一番目の計画を実行できなさそうです。

 

その案はあきらめて吉井川を渡り、大用水沿いを歩いてJR赤穂線長船駅へと戻りました。途中の大用水沿いの美しい風景にのんびり歩いていたら道を間違えてしまい、予定していた列車に乗り遅れました。

 

今回のもともとの計画は西大寺駅から2020年に牛窓を訪ねるときに乗ったバスで途中下車し、吉井川左岸の河口付近にある「水門町」とその干拓地を訪ねるという2年越しのものでした。

ところが赤穂線に乗り遅れたので、これは再び幻の計画になりました。

 

それなら西大寺駅から吉井川沿いに歩いて干拓地に入り、真っ直ぐ西へと歩いて途中で沖元西大寺線のバスに乗り、沖田神社を訪ねてから百間川右岸沿いに歩いて福泊バス停から岡山へ戻るという最終案にしましょう。

 

干拓地を歩き慣れてきて、計画を柔軟に変更できるようになってきました。

 

 

西大寺から吉井川沿いを歩く*

 

西大寺子どもの頃からよく耳にしていた地名です。有名なお寺があるようですが、バスの乗り継ぎで駅を利用しただけでした。

 

地図を眺めているとその西大寺のすぐそばに用水路があって、北へとたどるとその隘路のような場所で倉安川の水路とサイフォンで交差し、さらに北へとたどると山陽新幹線の沿線に細かく水色の線が何本もある不思議な場所を通っている水路のようです。

 

駅を降りて、この水路沿いに歩いてみました。

幅の広いゆったりした水路ですが、地図ではこの先の西大寺で吉井川へと合流しています。干拓地への水路でもなさそうで、西大寺駅よりも上流側の水田地帯を潤すためでしょうか。

 

右手に大きな工場が見えて、「国立印刷局岡山工場」とありました。

国立印刷局の「岡山工場について」の「環境方針」にはこんなことが書かれています。

環境理念

岡山工場は、日本銀行券用紙等の製造を行うに当たり、吉井川の恵まれた水資源の有効利用、排水の適正処理、事業活動に係る省資源・省エネルギーの推進及び廃棄物の削減に務め、地域環境の保全に貢献します。

紙幣の印刷に、吉井川の水が使われていたとは。

岡山工場は1944年(昭和19)に設置されたそうです。亡き祖父母や母は当時のこの地域の変遷の記憶があったことでしょう。もう尋ねる人がいないことは残念です。

 

岡山工場の反対側にも、水路沿いに古くからありそうな「山陽板紙工業」の工場もありました。どんな歴史があるのでしょう。

その先で水路がサイフォンで交差し、西大寺への道は半世紀以上前の岡山の雰囲気が残る商店街が続き、西大寺の境内へと出ました。

西大寺のすぐ向こうには、吉井川が川幅いっぱいにゆったりと流れていました。

ここから緩やかに蛇行して、数キロ先の児島湾まで干拓地が広がります。

 

江戸時代の前までは、この西大寺のあたりが海岸線だったのでしょうか。

昔の人の干拓にかける想いは、現代からは想像もつかないほど強いものだったのでしょう。

 

 

さあ、いよいよ江戸時代の干拓の地域へと入ります。

 

 

「散歩をする」まとめはこちら