祖父母の水田とお米の記憶を回想することが年々増えてきて、とうとう全国津々浦々の田んぼを見て歩くまでになり、それで「米のあれこれ」を書いています。
歩けば歩くほど、お米を作ることについて何も知らなかったと思うことばかりです。
稲作に不可欠な水がどこから来るのか、そしてその水をどう管理するのか、そのための生活はどんな感じなのかさえ知りませんでした。祖父母が生きていたら、もう毎日でも質問攻めにしたいところです。
とりわけ祖父母の世代は戦後の人口の急増による米不足に対応し、その後は主食の好みの変化や人口減少・農家の減少などによる減反と、お米をお腹いっぱい安定して食べることが初めて叶ったような時代から米余りの時代へ、驚異的に変化する時代の真っ只中を生きていたのだと思い返しています。
知らないことだらけの米作りの中で、お米がどのように取引されているのかについても今回のスーパーの棚からお米が消えた1ヶ月で、少しですが知る機会になりました。
私が中学生の頃に、お米の流通が大きく変わりました。購入する側にとっては「美味しい、安い、購入するのに便利」になった時代ともいえるかもしれませんが、本当にこのままでいいのだろうかと漠然と感じていました。
ここ10年ほどで一般の人までネット上で物を転売する手段ができ、今回の件でカジュアルに米も転売されていることに引っかかっています。
私の中ではいつからかどこからともなく「米は投機的に扱ってはいけないもの」という認識だったのですが、私の思い込みだったのでしょうか。
*「米、投機」で検索してみた*
今回のお米が店頭から消える3週間ほど前に、日本農業新聞のこんな記事がありました。
【論説】米先物取引の課題 徹底した監視と監督
堂島取引所(大阪市)による米の指数先物取引が8月13日から始まる。農家のリスク回避につながるとの期待がある一方で、需給バランスを乱すことへの懸念も残る。取引には投機的な動きを抑えるための制限措置などがあるが、市場が適正に機能しているのか、農水省には徹底した監視と監督が求められる。
米の先物取引とは、どのような仕組みなのか。まずは農家を含め、多くの関係者が理解しなければ取引への参加もできないし、監視もできない。農家の立場で取引の手法を見てみたい。
堂島取引所によると、農家が取引に参加する場合、商品先物取引業者を通じて行う。業者は8社あるが、8月の取引開始時点で準備ができているのは4社。対面とインターネット取引の両方を行なっている業者が2社、ネット業者が2社で、助言が欲しい場合は対面も行なっている業者に依頼をすることになる。
取引は、主要銘柄の平均米価の指数で行う。取引単位は1枚3トン。手数料は業者との対面か、ネット取引かで異なる。取引に必要な証拠金も業者により違う。8月から行われるのは、来年2月が期限の2月限(ぎり)、同4月限、同6月限の取引。
農家が取引を行う場合、来年6月の現物米相場が上がる見込みがあれば、現物で売っても十分収入を確保できるため、取引の利点は乏しい。逆に下げ相場が予測されるなら、経営のリスク回避として取引を行えば、相場が下がった際に先物で収入を得られる可能性がある。ただ、需給や相場の先行きを的確に見通すことは難しく、リスクが伴うことは忘れてはならない。
例えば、来年6月限の取引で60キロ1万7000円の売りを1枚(3トン)建て、取引が成立した場合、来年6月の現物相場が1万5000円なら、60キロ当たり2000円増隣、1枚で10万円の利益を得られる仕組みだ。
米を10トン作る農家が米価下落に備えて、先物取引を行う事例も想定できる。実際の生産量を超えて100トンの先物取引を行うこともできるが、相場を読み違えると大きな差損を生じる。これは「投機」にあたる。身の丈に合った範囲で行うことが重要だ。
先物取引は理論的には現物市場と連動するが、参加者が少ないと、十分機能しない恐れもある。取引は誰でも参加できるが、参加者をどれだけ集められるかが、先物取引の行方を左右することになる。
投機的な値動きを防ぐため、値幅や取引件数の制限があるが、先物取引が実態とかい離して乱高下すれば、米の需給調整にも影響を与えかねない。国は監視・監督を怠ってはならない。
(日本農業経済新聞、2024年7月20日)(強調は引用者による)
この行間を理解するほどの知識がないので、赤字で強調した部分は「印象に残った」ぐらいですが、米を投機的に扱ってはいけないという理解はおおむね正しかったようです。
1970年代から80年代、農産物輸入自由化の流れでこれからの時代は国の保護政策ではなく競争力で市場を開拓していく時代であるという雰囲気が強かったことは印象にあります。
「自国の産業でも保護政策は時代遅れ」という世界中のあの雰囲気は、圧力をかけてきた国ではそうでもなかったのですよね。
新しいことへの焦りは、いつの時代にも鵺のような雰囲気であっという間に広がりますからね。
それで誰が利益を得て、社会の何を失ったのでしょう。
国民を投資や投機に誘い込む新しい資本主義に看板をいつの間にか付け替えて、「米があるのかないのか、あっても店頭に並ばない」社会になったのはあの時代に経済を見誤ったからではないか、そんなことをぼんやりと思うこの頃です。
まあ、いつもどおり、ぼんやりとですけれどね。
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