一度歩いた場所が次々とニュースで伝えられてくる中、とにかくお一人でも無事でと祈るしかない毎日でした。
被害の状況を見ると、自治体の首長さんが「壊滅的だ」と絶望的な言葉を発せられたのが理解できるような状況ですが、全国の落ち着いた街や水田が健在な地域をあちこち歩くようになって、その土地の条件や災害を乗り越えてきた長い歴史があることを知る機会が増えました。
未曾有の災害の直後はもうダメかもしれないという状況でも、きっと立ち直ろうというお気持ちがどこからともなくが出てくるのではと思いながらニュースを追っています。
ただ、被災地以外の人は災害直後は、いてもたってもいられないという気持ちで絶望感を強めるようなことを言ったり、反対に乗り越えていく被災地の物語を求めてしまいやすいことに忍耐強さが必要ですね。
今回の災害でも「1.5次避難所」や「二次避難所」の話題が出始めると、「もう能登や液状化するような場所にお金をかけるべきではない」「高齢化、過疎化なのだから住民が残りたいと言っても全村移住の方が良いのでは」といったコメントが書き込まれるようになり、世の中の声というのは怖いなあと思いました。
被災地の全体像もあるいはそれぞれの地域の歴史も見えていない中で、「少子高齢化」「余計なコストはかける必要はない」「そこに住みたいというのは救援に依存することで迷惑」「これからはコンパクトシティ」といった単純化された言葉が並び、それぞれの地域のそれぞれの葛藤や思いも無視した失礼なことも簡単に書き込んでしまうようです。
災害時には、避難所の改善という本質問題を見えにくくさせるような自分の信念を強めたくなる発言に要注意ですね。
あの「三毛別羆事件」のチセさんの「一番怖いのは人間かもしれない」という言葉を思い出しました。
*早急に原因と対策と処罰を求めたがる*
1月2日夕方、地震のニュースを追っていた時に羽田の航空機事故の映像が入ってきました。
信じられないようなことが立て続けに起きるなか、日航機の乗客乗員が全員無事だったという奇跡的なニュースの反面、なかなか海上保安庁の乗組員の皆さんの安否が伝わってきませんでした。
機長さんが助かり搬送されたというニュース、他5名の乗組員の方々は死亡が伝わり、そのご家族と機長さんや関係者の皆さんのお気持ちを考えるだけで心が引き裂かれそうな中、じきに機長への事情聴取の内容が伝わり始めました。
リスクマネージメントでは、「なぜ自分がその事故の当事者になってしまったのか」と運命を呪いたくなるような確率で当たっても、仲間を亡くすという自責の念に押しつぶされご自身も重傷で治療を受けながらでも、事故は事故ですから再発防止のために原因究明に向き合い責任を果たすことが求められます。
同僚を失う重大事故の当事者となった絶望的な苦しみと痛みの中で、当時の状況を思い出しながら「事実はどうだったか」事情聴取に応じていらっしゃったそのお気持ちはいかばかりだったことでしょう。
そのうちに管制官とのやり取りに何か要因がありそうなことが伝えられると、機長個人の過失を問うようなコメントがまた書き込まれていきました。
「インシデントを認め、報告する」歴史の中での、「パイロットと管制官の言葉の解釈の違いをなくす」ための半年毎の見直しが行われてもなお事故は起きることが、我が身のことのように理解できる人はどれくらいいるのだろう。
なかなか世の中に「リスクマネージメントとは何か」が理解されて浸透するまでには、まだ時間が必要そうですね。
ここでも「怖いのは人間」と思ったのでした。
*天変地異や事故も怖いけれど*
政治の膿を出し切るというので少しは良くなるのかと期待したのに、内輪揉めといかに政治家で居続けるかという姿勢が見えてきて、ほんと怖いのは人間とまたまた思いました。
こういう人たちに私たちの生活の大事なことを決定されて、有無を言わさず変えさせられてきたのだと。
そして自分は政治家にふさわしいと思い込み、その地位と特権にしがみついている人を政治から引き離すという手段を国民は持っていないという怖い世界なのだと。
昨今は怖いことばかり起きますね。
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