念願の木曽三川公園と治水神社を訪ねることができました。長良川と揖斐川を隔てる油島千本松締切堤の上も少し歩いてみたいと思ったのですが、実際に訪ねてみると歩道のない道でした。
長良川大橋を渡ると、交差点に「輪中の里 3km」と表示がありました。そこを目指しているのですが、その後さらに同じくらい近鉄長島駅まで歩かなければホテルに戻るための交通機関がない場所です。
堤防上の県道168号線を避けて、田園地帯へ下りて歩きます。
ところで「県道」ですが、油橋大橋から長良川大橋の1kmほどの間に三重県、岐阜県そして愛知県の県境がある場所です。
そしてこれから歩く「福原」は愛知県ですが、この長細い場所を上流へとたどると、前日に訪ねた祖父江の対岸にある三川分流碑から続いている地域で、なんとも複雑に3つの県境が入り組んでいる場所です。
長良川と木曽川の堤防にはさまれた低い場所には収穫前のとうもろこしが育っていました。畑の方が嵩上げされているのか、道よりも高い場所にあるようです。
牛舎もあり、牛の姿もあります。
のどかな道をまっすぐ歩くと黒い瓦と黒い木壁の家があり、住宅地が細長く続いています。
「輪中保存会」の表示があり、畑の隅には花々が美しく手入れされています。祖父を思い出しながら歩くと、堤防にぐるりと囲まれた場所が見えて、福原排水機場がありました。
地図では「三番割」とか「堤外三番割」という地名です。
一旦、堤防の上の道に出ると木曽川が青々と流れ、少し先に森のような場所が見えてきました。
*船頭平河川公園*
地図で見つけたこの場所も、今回訪ねてみようと計画に入れていました。
事前に簡単に調べただけでしたが、現地の案内板を読んでここの場所の意味がわかりました。
船頭平河川公園案内図
船頭平閘門「重要文化財指定 文部省 平成12年5月」
明治時代の河川工事により木曽川と長良川を往来できるようにした閘門です。明治35年に完成し現在でも有効に機能しており、その土木技術は歴史的にも貴重なものです。
デ・レーケ技師銅像
オランダ人の土木技術師ヨハネス・デ・レーケの指導により明治20年から45年にかけて木曽三川下流部の改修を行い、木曽三川分流工事がなされました。
旧閘門ゲート(明治の水門扉)
完成以来90年余り活躍し、長年の歴史に耐えてきた閘門は、平成6年に改築工事が行われ、開閉装置が手動から電動へ切り替わりました。
木曽川文庫
濃尾平野特有の洪水防御や低地の人々のくらし等の歴史を知るため、輪中、宝暦治水、明治改修等を重点に収集保存展示しています。
ああ、なるほど、木曽川と長良川と行き来するために造られたのですね。
ここで、またデ・レーケと出会いました。
ここから先は長島地区へと入ります。
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デ・レーケについてのまとめはこちら。